「私はこれが社員のモチベーションをそいでいると気づきました。投資家や銀行だって新薬の開発が10打数10安打でいかないことは知っています。我々の戦略がこうで、それに向けてこういう開発をしていて、治験の途中段階でこんなデータが得られている、と示すことは、モヤモヤした中で働くより、よほど社員の士気に好影響があるでしょう」

「従来は明らかにしていなかった製品別の売り上げ見通しも発表しました。医薬品の売り上げ予想は台風の進路予想みたいなもので、先に行けば行くほどぼんやりします。金額の詳細に意味があるのではなく、日々取り組む仕事の行方をしっかり示すことに価値があります」

超生意気だった若手時代

リーダーには世界がひっくり返ることへの危機意識が必要だ

――社長1年目の感触はいかがですか。

「会社の将来像をどう構築するか、人々の心をどうそちらに向かわせるかがマネジメントの力だと思います。その点で初動はうまくできたかな、と思っています。1年目は戦略論とか外部のステークホルダーに顔を売るという仕事に時間をかけましたが、2年目からはもっと現場に出て、社員の考えを聞いたり、こちらの思いを直接伝えたりしたいと考えています」

――ご自身も治験の運営を取り仕切る「開発」の現場出身ですね。

「製薬業界では創薬部門を研究、治験を実行する部門を開発と呼びます。学生時代は微生物などから薬のタネを見つける天然物創薬を研究していましたが、ある日、共同研究していた山之内製薬(現アステラス製薬)の開発部長がやってきて『お前は研究より開発が向いている』と言われました。『開発って何ですか』という状態だったのですが『そんなもんかな』とも思い、入社を決めました」

――若手時代はどのような社員でしたか。

「超生意気でしたね。『日本一の開発マンになってやる』みたいな野望がありました。日本で3年ほど働いてみて、日本の医薬品の開発が欧米に比べていかに旧時代的で科学的でないか、ということを思い知りました。これじゃまずいな、と。1990年代は日本の製薬企業が海外に進出し、自社で開発して自社で利益を得ていこう、という時代でした。当時は後に山之内製薬の社長に就いた竹中登一さんが開発のトップにいました。『私を米国に行かせてください』と直談判して行かせてもらいました」

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米国勤務時代のボスに仕事の考え方教わる
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