タクシー運転20年余 忘れえぬ笠智衆さんの五十円玉
鉛筆画家 安住孝史氏
鉛筆で描いた夕闇の柳橋周辺(東京都台東区・中央区)=画・安住孝史氏
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僕は黒鉛筆一本やりで細密画を描いてきました。生活のためのアルバイトも重ねました。とくにタクシーの運転手は僕の生き方と相性がよく、70代まで通算20年余り務めました。深夜の東京の街をタクシーで流していると、この街に言いしれぬ愛着を感じました。タクシーには色々な人が乗ります。ときには芸能人や政治家らテレビ番組で見知った顔も乗車します。タクシーの小さな箱に大人たちは人生のかけらをこぼしていきます。その一期一会をつづります。
今回はタクシーの料金をめぐって思い出すことを書いてみようと思います。
もう30年も前の話です。神田川が隅田川に合流する手前の柳橋を渡ろうとすると、料亭の仲居さんに「東京駅八重洲口までお客さまをお願いします」と呼び止められました。駅まで600円ちょっとの距離だったと思いますが、仲居さんは千円札を出し「お釣りは結構です」と丁寧でした。しばらくすると客が見送りの女将と現れました。映画「男はつらいよ」に、御前様(ごぜんさま)の役柄で出演されていた笠智衆さんでした。僕は好きな俳優さんですからニコニコと運転しましたが、とくに言葉をかわすことはなかったと思います。
鉛筆の削り方で筆圧も調整し、消しゴムは使わない。「描いたら消さないのは、人生が後戻りできないのと同じ」
駅に着いて「料金は前に頂戴してあります」とドアを開けました。けれど笠さんは降りません。そのまま少し待っていますと、何かごそごそと音がします。バックミラーに目をやると、笠さんは小さな小銭入れに指を入れて探しものをしているようでした。何をしているのだろうといぶかっている僕に、やがて五十円玉をひとつ差し出し「お疲れさま」とおっしゃいました。おカネに代えられない誠実さとぬくもりに包まれた五十円玉でした。あの笠さんが、わざわざ自分の小銭入れを取り出して、わたしてくれたチップ。しかも映画と同じ、あの温かい優しげな声を添えて。
■おカネも「こんな風に使われたい」
ちょうどバブルのころで、「チップ」をくれるお客さまも多数いらっしゃいましたが、会社から支給されたタクシーチケットに多めの金額を書いてくれるケースがほとんどでした。もちろんお礼は言いますが、やはりご本人のおカネではないと思うと、ちょっと複雑な気持ちがしたものです。笠さんには深く頭を下げずにいられなかったのを覚えています。笠さんは1993年に亡くなられましたが、いまもずっと大好きな俳優さんです。今年の暮れには22年ぶりに「男はつらいよ」の50作目が上映されるそうです。僕にとってはとても大切な笠さんとの思い出を胸に、劇場に行きたいと思っています。
おカネの見せ方と書くといやらしいのですが、おカネにも「こんな風に使われたい」という姿があるような気がします。ちょっと怖さを感じるおカネを見ることもありました。