2019/3/26

バイオリニスト石上のデビュー盤でメインの作品は、多くの人から「勝負曲」と目されてきたヤナーチェクの「バイオリン・ソナタ」。チェコ東部モラビア地方の土俗的な香りと、近代音楽の鋭い感覚が共存する佳作を切れ味鋭く情熱的に、だが、楽曲の構造を緻密に浮かび上がらせながら再現している。「こじつけかもしれないが」と前置きして、血がほとばしるような演奏は「解剖学の実習を経験した人にしかできない気がする」と、とんでもない感想をぶつけてみた。

「確かに、人間の体を開いて臓器を全部見たことのあるバイオリニストって、レアですよね。手術の際に見る、生きている臓器は本当に美しいのです。この美しさを知っていることだけでも、何かしらのアドバンテージがあると思っています」

研修医の内定を「締め切り1分前」で断念

医学部在学中は「とにかく腫瘍の手術に興味があって」、消化器外科を希望した。「やがて、整形外科でも腫瘍手術の可能性があると知りました。でも整形外科実習の最初のアンケートでは、『興味はありますか』との質問に対し、『全くありません』と書いたのを覚えています。実習を終えたころには、『なりたい』という意思が固まりました」

ところが6回生の夏、いくつかの研修病院の採用試験も受けて、翌春からの研修先もほぼ内定という段になって、まったく違う形の「なりたい」が爆発した。

「研修医になったら、音楽をする時間はなくなる。たまの休日に弾けたとしても、音楽の時間とは実際に楽器を持っているときだけでなく、日常生活のふとした瞬間に音楽のことを無意識に考えている状態も含む。研修医だと、その『無意識の時間』が完全に医学の勉強に割かれてしまう……」と、頭の中がグルグル回転しはじめた。「医師とバイオリニスト、二足のわらじは今の自分には難しいと判断しました」。締め切り1分前、研修医の申し込み画面を消去した。

今は「医師免許が、ペーパードライバーの運転免許証みたいな状態」。それでも演奏会のリハーサルの帰り道、頭を血まみれにしている老人を発見したときは「大丈夫ですか」と声をかけ、救急車を呼んで待つ間に状態を確認、到着した救急隊員に状況説明を申し送りした。「まあ、たまには役に立つこともあります」と、照れくさそうに笑った。

一方、バイオリンの勉強では3人の素晴らしい恩師と出会った。最初は「自分で見つける力を与えるため、放置を辞さなかった」先生、次は「小説などの本も私に貸しながら、哲学的な考え方を授けてくださった」先生、最後は再び「生徒が自分で解決する糸口だけを与える」先生。とにかく自力で解釈を練り、局面を打開していく強さを自然に身に付けることができた。

エネルギーを蓄え、新しいことに挑む

自分でも「絶対にじっとしていることができない、何かしていないと気が済まない性格」と思うだけに、「楽器を触らないで過ごす日」を恐れず、家族らと札所めぐりなどに出かける時間を大切にする。「新しいことを始めるには、エネルギーの蓄積も必要ですから」。過去を振り返ることも好まない。関西の聴衆の反応が「東京に比べると鈍い」と痛感したらすぐ、「新しいことに挑む」をテーマに、自主企画の演奏会シリーズを立ち上げた。「積極的なお客様を自分でつくっていく」と、決めたのだ。

取材時、東京都港区の日本コロムビア本社にて

最初に好きになったバイオリニストが1949年、飛行機事故のために30歳で亡くなったフランスの女性、ジネット・ヌブーだったことが影響したのか、「私はきっと早死にする、40歳ころに死ぬ……と、漠然と思っていました」。今では「たぶん結局、長く生きるだろうと(笑)」。もちろん「音楽のことを考え、バイオリンとともに生きる」基本は守り抜くつもりだ。「それでもいつか音楽家と医師、『どちらもやれたら一番いいな』と思っています」(敬称略)

(音楽ジャーナリスト 池田卓夫)

石上真由子
 1991年京都市生まれ。京都府立医科大学卒業。バイオリニストとしては高校2年生のとき、第77回日本音楽コンクール(NHK・毎日新聞社主催)で第2位を得たのを皮切りに第7回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽部門第1位など、国内外のコンクールで上位入賞を続けた。現在はソロ活動のほか、恩師の森悠子が率いる長岡京室内アンサンブルなどのメンバーとしても活動。