医師とバイオリニスト、2つの夢を生きる 石上真由子

2019/3/26
アンサンブルでもソロでも変わりなく、嬉々として演奏する(写真 Taira Tairadate)
アンサンブルでもソロでも変わりなく、嬉々として演奏する(写真 Taira Tairadate)

今年1月、日本コロムビアが立ち上げた新進演奏家のデビュー盤シリーズ「オーパス・ワン」。ひときわ注目を集めたのは「医師免許を持つバイオリニスト」、石上真由子(27)だった。幼いころから楽器に触れながら、「女医さん」へのあこがれも抱いてきた。だが研修医の採用目前、「音楽活動に専念する」と決めた。

強くひかれた音楽と医学への道

バイオリンを始めたのは5歳。普通より、少しだけ遅い。「その前にヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていました。小器用だったのか、ある程度練習すればうまくいくと思っていたのですが、難易度が上がるにつれ、だんだん周囲に追いつかなくなった。そんなとき、バイオリンを助け舟のように『ホイ』と差し出され、つい飛びついたのが最初です」

最初は「またしても、あまり練習しなかった」が、8歳のとき「受かったら、ローマへ行ける」というオーディションの告知を見てがぜん、猛練習に転じた。「当時は映画『ローマの休日』にぞっこんだったので、『真実の口』に手を入れたい、『スペイン階段』でアイスクリームを食べたい……と念じながら弾き、願いをかなえたのです」

クラシック音楽のイメージを打ち破ろうと、シリーズ全体のビジュアルコーディネーターには湯山玲子を起用した(写真 日本コロムビア)

母と祖父母が大の音楽好き。しばしば孫娘をコンサートに誘い、LPレコード時代の巨匠たちの音源を聴かせた。母がそれらをカセットテープにダビング、娘はそれをヘッドホンで一日中聴いていた。当時のお気に入りは、メンデルスゾーンが13歳の1822年に作曲しながら忘れられ、1952年にようやく復活演奏が実現した「ヴァイオリンと弦楽のための協奏曲ニ短調」。メンコン(メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」の日本での愛称)といえば1844年作曲のホ短調が名曲中の名曲だが、マイナーなニ短調に心ひかれるあたり、ごく早い時点から個性派だったに違いない。母は母で「娘が大学に入ったときに、学生オーケストラなどでも弾ける」と考え、バイオリンを続けるのを後押しした。

もう一つ、医師への夢はバイオリンを始めるよりも早くに抱いた。「風邪をよくひく子どもでした。近所の小児科クリニックの女医さんがとても優しい方で、いつしかあこがれの人に。ある日、先生に『お医者さんになってくれたら、うれしいな』と言われ、その場で『やります』と宣言してしまいます。『約束したことは、やらなあかん』というポリシーなので、医学部入学まで頑張りました」

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研修医の内定を「締め切り1分前」で断念