オリパラ

未完のレース

「もう一本」の心届かず 篠原さん、五輪監督で金ゼロ 篠原信一(3)

2019/3/20

監督として選手たちには、ひたすら無骨に、限界まで追い込めと求めた(写真は2012年の練習風景)

2000年シドニー五輪で銀メダルに終わった後、現役を引退した篠原信一(46)。母校の天理大で指導者の道を歩み始めて間もなく、日本代表監督に任じられる。海外勢の猛烈な追い上げにさらされるなか、選手たちに厳しい稽古を求めるが、「心こそ大切」という篠原の思いは届かない。迎えた12年ロンドン大会で、篠原率いる男子柔道は初の金メダルゼロとなった。(前回は「心技体『心が足りなかった』 篠原さん五輪決勝の悔恨」

◇   ◇   ◇

00年シドニー五輪柔道男子100キロ超級で起きた「世紀の誤審」で銀メダルとなった篠原信一は当時、「弱いから負けた」と短くコメントした。誤審は今なお、柔道界のみならず日本の五輪史、スポーツ界に残る悔恨である。

しかし、勝負の極限で繰り出した「内また透かし」を見逃した審判への不服も、金メダルを争ったダビド・ドイエへの恨みがましい言葉も一切口にしなかった勝負師の潔さは、誤審と同じ重みで語り継がれてきた。

19年がたち、その姿勢に変化はないが、心の澱(おり)を一滴一滴ろ過するかのような作業を経て、当時のコメントにようやく、しかしまたも短い言葉を付け加えた。

「あのときの自分には技も体もあった。けれど心が足りなかった。弱いから負けたと確かにそう言いました。でも、心が弱かったから負けた、それが正確なコメントでしたね」

■野村忠宏が感じた「人間力」

忘れられない光景があるという。

表彰式が終わり、ロッカーに戻るとタオルをかぶって「何のためにキツイ練習に耐えて来た? あそこでもう一回(ドイエを)投げにいくためだったんじゃないのか」と自問自答しながら、涙が止まらなかった。長引いたドーピング検査を終え、ようやくロッカーを出ると、柔道競技最終日のため早くも会場内の撤収作業が始まっていた。騒然とする通路で、荷物を持ちポツンと立っていた後輩を見付ける。チーム関係者も、役員も去った会場で、何時間も1人で待っていたのは、天理大後輩で、60キロ級金メダリストの野村忠宏(44)だった。頭を深く下げた後輩に「先輩、お疲れさまでした」そう言われた。

「ヒロ(野村)が1人で待っとってくれたんです。自分にどう声かければいいんだって、あんな試合の後ですから、そりゃあアイツも困っとったでしょうね。でもあのとき、ヒロの顔見てハッと我に返った感覚になれましたね。そうだ、もう切り替えよう、って」

オリパラ 新着記事

ALL CHANNEL