漫画家ヤマザキマリ この地球でいかに面白く生きるか
イタリア、シリア、ポルトガル、アメリカなど世界を行き来しながら国境のない日々を送るのが、『テルマエ・ロマエ』で一世を風靡した漫画家ヤマザキマリさん。マリさんの母リョウコさんもまた、音楽と娘、そして自身の人生を愛する、何から何まで「規格外」の母だった! ヴィオラ演奏家として世界を駆け巡りながら、シングルで娘2人を育て上げた破天荒なリョウコさんからマリさんが学んだこととは?
40~50代は、「女性」というくくりが抜ける年代
―― がむしゃらに走り続けてきたモードが一段落し、さあ、もう一度自分の人生を見つめ直してみよう、というタイミングに来ているのが40~50代の女性たちです。
ヤマザキマリさん(以下、敬称略) 私も今年で52歳。酸いも甘いも経験し、いちいちジェンダーを意識する感覚がなくなってくるというか、女性というくくりが抜ける年代ではないでしょうか。日本の男女格差は先進国で最下位、なんていわれますが、考えてみれば古代ローマ時代から女の人は頑張っていたのに、2000年経ってもまだ改善されていない問題は山ほどあるわけです。
変わらないものは変わらない、とある程度踏まえた上で前に進もう、という覚悟が40~50代になると根付いてくる。若い頃のように、女性であることを盾に使おうとも思わなくなり、とにかく持って生まれたもので今と向き合って死ぬまで生きようという姿勢になる。同年代で活躍している人たちを見ていると、そう感じますね。
―― 母・リョウコさんの人生を語った『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)を読みました。今年86歳になるリョウコさんもまた、たくましく人生を駆け抜けて来た方ですね。
マリ 鼻息荒く、野生の馬のように駆け抜けて行っていますね(笑)。良家のお嬢様として育てられ、27歳の時に突然会計事務所を辞めて勘当状態で北海道に旅立ち、新設された札幌の交響楽団に入団。出会って結婚した夫に早くに先立たれ、子どもをシングルで育てることになった。仕事も育児も家事も自分でなんとかするしかなくて、女だとか母だとか自分の立場など顧みるゆとりもなかった。
私は、母リョウコから、「ただ、この地球でいかに面白く楽しく生きるか」を見せられてきたように思っています。いまだに「母はこうありなさい」「女はこうありなさい」という言葉は一つも言われた記憶がありませんね。「本当に好きな人が現れなかったら結婚なんかしなくていいんだよ、結婚なんてしなくたって生きていけるんだ」って小学校低学年の頃から言われてました(笑)。
―― マリさんが未婚で生んだ赤ちゃんを抱えて日本に帰国した時、リョウコさんが「仕方ない、孫の代までは私の責任だ!」と満面の笑みで言い切ったのはすごいと思いました。
マリ 黙って未婚で子どもを産んで帰ったわけですから、一般的には「そんな非常識なことをして、いったいこれからどうするつもりなの!」と責められても仕方ない状況です。でも、リョウコの反応は違ったんです。むしろこの予測のつかない人生の展開にワクワクしていました。
お金がないのは恐るるに足らず! 「比較」をやめると人生はラクになる
マリ リョウコにとっては「黙って未婚で子どもを産む」という展開は、不安や怒りとは直結しないんです。リョウコは人と比較したり、生き方に対して執拗な理想や思い入れを持たない人。人間って、どうしても比較してしまう生き物だと思うんです。比較するというたがを取るのが最も大きなハードルかもしれません。でも、そのたがが取れると、人生はラクになります。
―― 「ああしなさい、こうしなさい」とガミガミ言われた覚えもないそうですね。
マリ もちろん怒られたことがないわけではないし、ケンカもありましたよ。でも、リョウコは基本的に「人は皆、それぞれ違う生き物。周りと同じにできなくても当たり前」という理念を伝えようとしていたと思います。
とにかく私がわんぱくしている話を聞くのが好きみたいで、「今日は学区内の禁止区域に行ってきた!」というと、「え、どうだった? 何があった?」と目を輝かせる。車で走っていても、急停車して「ストーップ! 今タヌキいたよね? 飼いたいから探そう!」って言うんですから。子どもながらに、なんかいいなあこの人、天真爛漫(らんまん)に地球をエンジョイしてて……って見てました。
―― 経済的には、決して裕福ではなかったそうですね。
マリ お金がないのに高い楽器や家具を買ってきて、「一生大切にできる物を選ばないとね!」と。北海道の方々に散らばるヴァイオリンのお弟子さん家族から様々な貢ぎ物(食べ物)はもらえるんです。トウモロコシ、ジャガイモ、鮭、さんま、いくら、乳製品。なんでも家にはありました。
休日も山へ行きたい、川へ行きたいと子どもたちを誘う。「お金には代えられない楽しみや幸せがあるんだよ」と私たち姉妹は繰り返し言い聞かせられました。彼女の中では、生きる喜びや楽しさと経済が結び付いていない。お金がないと幸せにはなれない、という感覚がないんですね。必要な分だけお金を稼げばいい、と。
―― そのお金への価値観は、マリさんにも受け継がれた、と。
マリ 例えば90年代初頭、経済制裁の最中にボランティアで滞在していたキューバでは、配給のコッペパンが1日に1家族1個でした。夜は電気も止まっちゃう。おなかもすくし不安になりますよね。でも、月明かりの下、誰かがギターやコンガを演奏しはじめれば、自然とそこにいる人々は踊りだす。子ども達は鬼ごっこみたいな遊びで楽しげにかけずり回っていたり、女性たちは夫の愚痴を言っていたりね(笑)。その生活ぶりに、何ともいえない心地よさ、お金に依存せずに生きている人間の健やかさを感じました。お金がないということは恐るるに足らず、母から言われてきたことがそこでも実感されました。
つらいことは全部母の広辞苑に収載されている
―― リョウコさんは、マリさんが大人になってからもよき相談相手なのですか?
マリ 以前までは同居している家族ともめたりすると、電話していましたね。いつも答えは同じ「仕方ないわよ、人生なんていろいろあって当たり前。そんなもんよ」。その一言を聞くだけで不思議と「全部乗り越えられることよ」って聞こえる。恐らく私に言えていない苦労もリョウコはたくさんしてきているはずです。山のように苦労をしてきたから、私がどんなにつらいと言ったって、そのつらいことは、きっと全部彼女の広辞苑に収載されている。どんな悩みも母に告げた途端、鼻クソくらい矮小(わいしょう)に感じられてしまうのです。
泣きそうな声でイタリアから電話しているのに「いやあねえ、何だってそんなに問題が起こるのよ、笑っちゃうわよ面白くて」って本当に電話の向こうで笑っている。決して一緒になって眉間にシワを寄せて悩んだりしません。
漫画家。1967年、東京都生まれ、北海道育ち。17歳でイタリアに渡り油絵と美術史を学ぶ。27歳で子どもを授かるもシングルマザーを選択。30歳で漫画家デビュー、35歳でイタリア人の比較文化研究者との結婚を機に、シリア、ポルトガルなどへ移住。現在は日本と北イタリアで暮らす。2010年に『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞、手塚治虫文化賞短編賞を受賞。16年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。最新刊は、破天荒な母を綴った『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』(文藝春秋)
(取材・文 柳本 操、写真 洞澤佐智子)
[日経ARIA2019年2月18日付の掲載記事を基に再構成]
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