俳優・岸恵子さん 女優への道、教員の父が猛反対

1932年横浜市出身。51年に映画デビュー。53年公開の映画「君の名は」で演じたヒロイン真知子のストールの巻き方がブームとなった。「愛のかたち」(文芸春秋)など小説家の顔も持つ。
1932年横浜市出身。51年に映画デビュー。53年公開の映画「君の名は」で演じたヒロイン真知子のストールの巻き方がブームとなった。「愛のかたち」(文芸春秋)など小説家の顔も持つ。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は俳優で作家の岸恵子さんだ。

――横浜育ちなんですね。

「そうなのぉ、親子3代で浜っこなのよ。今の家も祖父の代から住んでいる家なんです。古いけど、思い出と、思い入れがあって手放そうとは思いません。3代目の建具屋さんが手入れをしてくれています。(東京に)仕事に出掛けるには時間がかかりますけど、苦にはなりません」

――読書に興味を持ったのはお父様の影響だとか。

「学校の教員だったんです。長身でモダンな感じな人。文字の教え方はまるでゲームのよう。おかげで苦労なく読書に親しむことができたと思います。文章を書くことに興味を持てたのも父の影響が大きいかな。物静かな父とは対照的だった母。炊事、洗濯、育児を一手にこなす明治女性を絵に描いたような人でした。器量も良く、人を引き付けるオーラがありました」

――女優になるきっかけは思いがけないものだった。

「もともと文学好きだったんです。でも、バレエ講習の帰りに東京の映画館にこっそり足を運んでしまったの。そこでみた『美女と野獣』の映像に目を奪われ、仕組みを知りたくて。知り合いに頼んで松竹のスタジオに研究生として出入りするようになりました。その後映画出演の話が出て、あれっという間に物事が進んでしまいました」

――ご両親の反応は。

「父からは猛烈に反対されました。せっかく大学受験に向けて勉強に取り組んでいるのに『その努力を無駄にするのは残念だ』とのことでした。大学に進むものとは思っていましたが、せっかくのチャンスだし一度だけ、のつもりで引き受けたのです。その映画がヒット作になって、そのままデビューすることになりました。進学を諦めたことについて、父は残念そうでしたね。ですが、両親は私の決断を喜んでくれていたと思っています」

――娘さんの教育にはご両親を手本にされたとか。

「子供の性格や育つ環境も違うのですから、我流ですよ。ただ、両親の教えが基本にはなっているのかも。しつけやあいさつはもちろんですが、娘と過ごす時間を必ず持つようにスケジュールを管理しました。親と子が一緒に過ごす時間は限られています。その間に、どのように我が子と接するかではないでしょうか。私の場合、父の影響で川端康成先生に興味を持って、作家を志しました。一人娘には、いつも個人として尊重し、大人として対応しました。それも母の教えです」

「私は結婚を機に渡仏し、40年以上パリで暮らしました。今は娘もフランスで家庭を持ち、孫たちにも手が掛からなくなったので、パリを離れて横浜に引き揚げました。子供の生活に干渉するのはよくないと思います。見守ることだけで、十分親の役目は果たせると思っています」

[日本経済新聞夕刊2019年3月5日付]

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