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パラアスリート 夢を追う

夫婦でめざす東京パラ 新種目のバド、競い合って練習

2019/3/28 日本経済新聞 朝刊

パラバドミントンの小林幸平さん(左)と悦子さん夫妻

2020年東京パラリンピックから正式種目として採用されたパラバドミントンに、そろって出場をめざす夫婦がいる。夫の小林幸平(39、ブリヂストン)と妻、悦子(50、パナソニック)。それぞれの所属先での活動に加えて、夫婦でも練習を重ねる。二人三脚で夢の舞台へ駆け上がる。

■出会いは車いすバスケ

パンっというシャトルを打つ音、競技用車いすのタイヤがキュッと鳴る音が、体育館に響く。幸平が思い切り背中を反らせ丸太のような腕からスマッシュを放つと、悦子は車いすを器用に動かして追いつく。おのおのの所属先で毎日練習しつつ、週2、3回の夫婦での練習も欠かさない。

互いに頑張る姿を見ると「負けていられない」という気持ちになるという

夫婦での練習は一長一短だ。ともに負けず嫌いで、互いのアドバイスを素直に聞けない時も。それでも、時間のほとんどをバドミントンにつぎ込む生活を理解し合い、互いが頑張る姿を見ると負けていられないと競い合える。

選手としての二人のルーツは、実はバスケットボール。悦子は2歳のころ病気で半身まひの障害を持つようになったが、小さいころから体を動かすのが好きで、車いすバスケに夢中になった。

出会いもバスケがきっかけだ。17歳で交通事故に遭い車いす生活となった幸平が、知人のすすめで車いすバスケの試合を見に行った時、出場していたのが悦子だった。その後、幸平がバスケの練習に参加するようになって再会、ひたむきに練習する姿にひかれ合った。悦子が39歳、幸平が28歳の時に結婚した。

その頃、悦子は転機を迎えていた。31歳の時にはパラリンピック日本代表の最終選考にも選ばれていたが結局出場できず、結果が出ない年が何年も続いた。そんな時、気分転換にと友人に誘われ軽い気持ちで始めたのがバドミントン。練習のはずが成り行きで出ることになった試合で、取れたのはわずか1ポイント。消えかけていた闘争心に火がついた。気づくとバドミントンにのめり込み練習する毎日が始まった。

幸平も5年前、バドミントンに転向した。毎晩夜中まで練習する悦子の姿を見て、何か手助けできないかと練習相手を買って出たことがきっかけ。いい練習相手になると思っていたが、いざ始めると飛んできたシャトルをラケットに当てることもできない。必死に練習してゲームをこなせるようになるまでに半年近くかかった。練習相手になるはずが、いつしかライバルのような関係になっていた。

■負けず嫌いの似た者同士

何より二人の心に火をつけたのが、パラバドミントンが東京パラリンピックの正式種目に採用されたことだ。悦子はバスケで出られなかったパラリンピックに出ることを目標にして、幸平も悦子を支えながらも自らも出場したいという思いが募っていった。

ハードルは高い。二人とも仕事と競技を両立しなければならず、仕事が長引くと練習は夜中まで。睡眠不足のまま職場へ向かうこともある。

世間の障害者スポーツへの理解も不十分なのが現実だ。体育館を借りようとしたところ、車いすで床が傷つくからという理由で使用を断られたこともあるという。「自分たちが夫婦でパラリンピックで活躍して注目を浴びれば、障害者スポーツへの理解ももっと深まるかもしれない」。こうした思いも、夢を追う気持ちを後押ししている。

18年の日本選手権で幸平はシングルスで優勝、ダブルスで準優勝、悦子はシングルス3位。二人ともパラリンピックの強化指定選手だ。負けず嫌い同士の似た者夫婦は、今日も車いすを巧みに動かしてシャトルを追っている。

=敬称略

小林悦子
1968年生まれ、佐賀県唐津市出身。40歳でバスケットからバドミントンに転向。
小林幸平
1979年生まれ、福岡県朝倉市出身。35歳でバドミントンを始める。

(記事 藤田翔 撮影 塩山賢)

[日本経済新聞朝刊2019年3月2日付]

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