豪州からスキー場に履歴書を送りつけ、スキーパトロールの職を得た。そしてホテルニセコアルペンで後に妻となる邦代と出会う。2人は豪州でスノーボードを仕入れて日本で売る商売を始めた。徐々にバックカントリーを案内するツアー事業に軸足を移し、ラフティングやアドベンチャーキャンプも始めた。

90年代のニセコでは「2人のロス」のような若い外国人のサクセスストーリーが生まれ始めた。彼らが持ち込んだアクティビティーが呼び水となり訪日客が徐々に増えていく。

「不動産、買エマスカ?」

「ワタシ、オーストラリア人デス。不動産、買エマスカ?」。ロス・フィンドレーの元でアルバイトをしていた豪州人のベン・カーが吉田聡司法書士事務所を訪ねたのは2000年のことだ。代表の吉田聡は倶知安出身。カナダに留学して英文の契約を学んでいた。

ベンは当時30歳。ツアーガイドをする傍ら、ニセコに目を付けた海外の不動産バイヤーに中古ペンションを仲介する副業を始めた。「ベン、そんな売値は狂っているよ」。ニセコの仲間に止められたのに、バイヤーからは「どうしてこんなに安いの?」と不思議がられた。

コンドミニアム開発の主体は外資大手に移りつつある(倶知安町の「HANAZONOリゾート」)

ニセコの不動産価格は間違いなく高騰する。そう察知した2人は共同で外国人向け不動産仲介を手掛けるニセコ・リアルエステート(倶知安町)を起業した。「カナダで勉強した契約書の翻訳がこんな風に役立つとは思ってもみなかった」と語る吉田はいま、倶知安観光協会の会長を務める。

もう1人、ニセコの不動産に商機を見いだした豪州人がいた。サイモン・ロビンソン。豪州の首都キャンベラ近郊でレストランやカフェを営んでいたが、03年の大規模な山火事に巻き込まれて全財産を失った。

「保険金を使ってニセコで一発逆転だ!」。04年に北海道トラックス(倶知安町)という会社を立ち上げ、保険金を元手に長期滞在に向いているコンドミニアム4棟をニセコに建てた。すると、完成前にたちまち完売してしまった。

サイモンのコンドミニアム建設は、投資の熱気が充満し始めたニセコでマッチを擦ったようなものだった。建設ラッシュが始まり、06年の公示地価で地価上昇率全国トップに躍り出る。

デザインの力でハコ再生

15年に北海道倶知安町の花園地区で開業した高級旅館「坐忘林(ざぼうりん)」。広大な原生林に突如、和の雰囲気をまとった現代建築が現れる。近くには古民家を改造した複合施設「SOMOZA(ソモザ)」が17年にオープン。北海道ゆかりの芸術作品を集めたアートギャラリーや地元食材を使ったレストランなどで構成する。

複合施設「SOMOZA」をプロデュースしたショウヤ・グリッグさん

坐忘林とソモザをプロデュースしたのは英国出身の総合クリエーター、ショウヤ・グリッグ。英国リーズ生まれで、中学時代にオーストラリア西海岸のパースに引っ越した。両親は中古の家に引っ越しては手を加えて購入時より高く売り、また別の家に引っ越す生活をしていた。

ショウヤは高校卒業後クラブでDJをしながら、映画や写真を学ぶ現地の専門学校に進学。映画監督の黒沢明に感銘を受け、日本で働こうと94年にワーキングホリデーで来道した。映画関連の仕事には就けなかったが、デザイン会社を設立して事業が順調に拡大していた頃、親譲りのDIY好きが興じ、空間デザインに進むことを決めた。

道内で物件を探して行き着いたのがニセコだ。奥地にある古びたペンションを買い取った。壁や天井をぶち抜く大改装を施し06年、レストラン「SEKKA DINING」をオープンした。当時のニセコは飲食店が少なく、斬新さが目を引いた。来店客がデザインを気に入り「別荘を作ってほしい」と相談。建築家と組んで別荘やコンドミニアムを建てるようになった。自然と芸術を組み合わせた坐忘林とソモザはグリッグにとって集大成の一つだ。

北海道の片田舎にあったスキー場は今や、海外とダイレクトでつながる流行の発信地となった。その活力を取り込んで、さらに訪日客が集まる。好循環はしばらく続きそうだ。

=敬称略

(山中博文)

[日本経済新聞朝刊2019年2月27・28日、3月1日付を再構成]