原点はQV-10 平成デジカメ、競争の末消えた個性派
パソコン、スマートフォン(スマホ)と並んで、平成に生まれて一気に普及したのがデジタルカメラだろう。平成初期に登場した革新的な製品が世間にインパクトを与え、それ以降数多くのメーカーからさまざまな製品が登場して広く普及していった。今ではあたりまえになったデジカメはどう生まれ、どう変わっていったのか。コンパクトデジカメにフォーカスをあて、その進化を追っていく。
活気あふれる平成前半 個性的すぎる「迷機」も
一般消費者にデジカメを普及させた立役者として知られているのが、カシオ計算機が平成7年(1995年)に発売した「QV-10」だ。ヒットの要因は、背面にカラー液晶を搭載したこと。「背面液晶でライブビューを見ながら撮影でき、撮影した写真がその場ですぐに見られる」というフィルムカメラにはない使い勝手を備え、注目を集めた。フィルムと違って撮影や現像にお金がかからないことや、失敗した写真をその場で削除できることなど、利便性の高さも評価され、現在のデジカメのスタイルを確立した製品となった。
QV-10のヒットを受け、カメラメーカーや家電メーカーを巻き込んでデジカメが大ブームになった。黎明(れいめい)期は、既存のフィルムカメラとの違いを前面に押し出して斬新さをアピールした個性的な製品が各社から登場し、活気にあふれた。特に、レンズが捕らえた光を光学的にまっすぐフィルム面に導く必要がないデジカメならではの特長を生かし、フィルムカメラにはない個性的なデザインの機種が多くお目見えした。
フィルムカメラとの差異化にこだわったのが、意外にも老舗カメラメーカーのニコンだった。レンズ部が独立して回転するスイバル構造を採用した「COOLPIX 950」(平成11年、99年)などの薄型モデルを投入し、10万円近い高価格だったにもかかわらずヒットした。スイバル構造は、本体が薄型でもレンズ部の奥行きが確保でき、高性能のレンズを搭載しやすいといったメリットがあり、一時は熱心なファンを抱えるほどになった。
だが、個性的なスタイルのカメラは奇抜なデザインや大柄なボディー、使い勝手の悪さが敬遠され、ヒットに結びついたものは決して多くなかった。ミノルタが平成9年(1997年)に発売した「Dimage V」は、筒状のレンズ部がカメラ本体と分離できる構造が注目を集めたが、話題性の割にヒットには至らなかった。平成が進むにつれ、個性的すぎるデザインの「迷機」は次第に姿を消し、カメラらしいオーソドックスな横長の箱形スタイルで、より小型軽量を追求した製品が主力になっていく。
進む薄型化 しかし「薄すぎ」モデルは苦戦
デジタルカメラの小型軽量化や薄型化は、電子部品の小型化や実装技術の向上などを受けて着実に進んでいった。特に、ペンタックス(現・リコー)が平成15年(2003年)に発売した「Optio S」は、電源オフ時にレンズの一部をレンズユニット外に待避させる画期的な「スライディングレンズシステム」を採用し、大幅な薄型化を可能とした。
デジタルカメラの小型化はユーザーに歓迎されたが、極端な薄型ボディーを採用した製品は意外にもことごとくヒットしなかった。カシオ計算機は、平成14年(2002年)に厚さを11.3mmに抑えたカード型デジカメ「EXILIM EX-S1」を発売したが、薄さを追求するためにレンズをズームではなく単焦点とした点が嫌われた。平成17年(2005年)には、最薄部がわずか9.8mmというソニーの光学3倍ズームモデル「Cyber-shot DSC-T7」が登場したが、薄さを追求するあまり使い勝手がきわめて悪く、こちらも注目されることはなかった。
限界が見えた画素数競争
デジタルカメラのデザインや形状は、試行錯誤の末に失敗作も多く生み出していったが、一直線に性能を高めていったのが撮像素子(イメージセンサー)の画素数だ。
撮像素子は、QV-10の約25万画素から始まり、35万画素、80万画素へと高画素化を続け、ほどなく100万~130万画素の「メガピクセル」がトレンドとなり人気を集めた。初のメガピクセル機となったのが、オリンパス光学工業(現・オリンパス)が平成9年(1997年)に発売した「CAMEDIA C-1400L」。10万円超のマニア向けモデルだったが、メガピクセルセンサーはほどなく各社の低価格帯モデルへも続々と採用が進んでいった。
その後も、撮像素子の画素数は200万画素、300万画素、500万画素、800万画素と急速にステップアップを続けていき、平成18年(2006年)にはカシオ計算機の「EXILIM EX-Z1000」がコンパクトデジカメ初の1000万画素モデルとして話題になった。
ただし、撮像素子の小さなコンパクトデジカメにおいては、画素数アップによる画質向上が明確に感じられたのは1000万画素前後までであった。あまりに高画素になると1画素あたりの受光面積が小さくなり、光量不足を補うために信号を増幅してノイズが増加するなど、画質面ではメリットよりもデメリットが目立つようになるからだ。
だが、その後も1200万画素や1600万画素、2000万画素と画素数は向上していった。デジタルカメラの機種選びをする際、多くの人がまず着目するのが画素数であり、メーカーも「競合製品よりも高画素のものを出さないと売れない」という意識があった。低画素モデルよりも高画素モデルのほうがより高い価格で売れることもあり、メーカー自身も画素数の向上によるメリットに疑問を感じつつも高画素化にひた走ったわけだ。
消費者もほどなく画素数競争の無意味さに気づき始め、カジュアルユーザーはiPhoneをはじめとするスマートフォンで満足してコンパクトデジカメに手を伸ばさなくなり、画質を重視する一部のユーザーは大型の撮像素子を搭載するデジタル一眼レフやミラーレス一眼に移行。こうしてデジタルカメラの出荷台数は2008年をピークに下落の一途をたどることになった。
パナソニックが作ったヒットの3要素
黎明期は、デザインや装備に趣向を凝らした個性的なコンパクトデジカメが各社から登場したが、2000年代前半ごろにはヒットするコンパクトデジカメに欠かせない要素が固まってきた。「金属外装のスリムボディー」「手ぶれ補正機構」「大画面液晶」の3つだ。
初期のコンパクトデジカメはプラスチック製ボディーも多かったが、こと日本においては質感の高い金属外装を採用した機種を求める動きが強かった。金属外装モデルの元祖といえるのが、富士写真フイルム(現・富士フイルム)が平成10年(1998年)に発売した「FinePix 700」。当時は珍しいアルミ合金製の外装を採用しつつ、上部にレンズを、背面の下部に液晶パネルを搭載する縦長のスリムデザインにまとめ、見た目も重視する女性層にもヒット。それ以降、各社の中上位機種は金属外装を採用する機種が増えた。
デザインの美しさで広くインパクトを与えたのが、キヤノンが平成12年(2000年)に発売した「IXY DIGITAL」だ。金属外装の箱形ボディーをベースに、レンズの周囲に円形のプレートを配した「ボックス&サークルデザイン」が人気を呼び、現在もこのデザインコンセプトが継承されている。
手ぶれ補正機構は、オリンパスが平成12年(2000年)に発売した「CAMEDIA C-2100 Ultra Zoom」が初の搭載モデルとなった。
C-2100を含め、初期の手ぶれ補正機構は高倍率ズームレンズを搭載した高性能モデルに細々と搭載されていたが、一気に広めることになったのが平成16年(2004年)にパナソニックが発売した「LUMIX DMC-FX7」だ。歌手の浜崎あゆみさんが登場するテレビCMで、手ぶれ補正機構搭載のメリットを「Ayuはぶれない」と分かりやすく表現し、一般層にも浸透。実用面の高さも認知され、ほどなく「手ぶれ補正のないコンパクトデジカメは売れない」というほどの状況にもなり、ほぼすべての機種に手ぶれ補正機構が搭載されるようになった。
FX7は、小型軽量のスリムモデルに2.5型の大画面液晶を搭載したことでも注目された。コンパクトデジカメは、撮影と再生の両方で背面液晶を利用することもあり、もともと液晶の存在は重要だったが、日本では「画面が大きいほうが高価そうに見える」という意識もあり、より大画面のモデルが好まれたのだ。FX7以後、2.5型がしばらくスタンダードになり、2000年代後半にはひと回り大きな3型にシフトしていった。
このFX7は「金属製のスリムボディー」「手ぶれ補正機構」「大画面液晶」の3要素をすべて盛り込んだことで、コンパクトデジカメのお手本のような製品だった。デジタルカメラでは新参だったパナソニックのシェアを高める立役者となり、他社製カメラにも大きな影響を与えた。ただ、各社もこの人気3要素をすべて盛り込んでいくことで、デザインや装備も似たようなモデルが増え、デジカメの黎明期に登場したような個性派は姿を消していくことになる。
QV-10から始まったコンパクトデジタルカメラにとって、平成という時代は、多様なアプローチや試行錯誤を繰り返しながら、携帯しやすさ、撮影しやすさ、撮影の失敗を防ぐといったことを重視した実用的なスタイルに収れんしていく30年だったといえる。
(文 日経トレンディネット編集部)
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