誤審背負い20年 柔道の篠原さん、なぜ安曇野暮らし篠原信一(1)

将来の移住に向けて少しずつ準備を始めている(長野県安曇野市)

安曇野なら畑仕事に打ち込む土地も確保でき、仕事で東京を往復するにも車で5時間ほどとそれほど遠くはない。柴犬とゴールデンレトリバーの「ワンちゃん」たちも伸び伸び遊べる。自然に囲まれた周辺には、ヤマメが泳ぎ大好きな釣りを楽しめる美しい川もあり、夫婦でバイクツーリングするにも魅力的な山道ばかりだ。中学校と小学校に通う2人の男の子も、自然の中での暮らしを喜んでいる。現在は主に週末を過ごし、将来の移住に向けて少しずつ準備を始めている。

地元で大きな話題になった一方で、「時々遊びに来るだけだろう」と、別荘を購入したのだと思われていた。しかし真冬にまきストーブに使うためのまき割りを黙々とする姿など、移住への思いが歓迎され、早くも地元タウン紙からは連載執筆を依頼されている。

46歳の働き盛りに田舎暮らしを決めた理由を「会社勤めならいずれは定年を迎えて、そこから次の暮らしの準備を始める。でもどうせ準備をするなら、元気で体が動くうちに始めたほうがいい。じっくり考え準備すれば、思い切ったチャレンジもできますから」と話す。自身でのコントロールが困難だった波乱の柔道人生とは違い、自ら選び、準備できるようになった人生の楽しさをかみしめているかのようだ。

「運」はあったが「縁」がなかった

柔道を始めた雲雀丘中学(神戸市長田区)の頃から、オリンピックに行こうなどと大それた夢は描いていなかった。そもそも、体格の良さで柔道に誘われて始めてみたものの、どうしたら辞められるかを毎日考え、練習をサボった。そのため高校進学は考えず、就職するつもりでいたところ、同じ神戸市長田区にある私立・育英高校柔道部の有井克己監督に才能を見いだされ誘われた。

「柔道の才能なんてこれっぽっちもありませんでした」と語る篠原(18年12月、大阪市内)

高校では有井に厳しい指導を受け、高校最後のインターハイに出場。決勝トーナメントに進出するが敗退したため、今度こそ高校で辞めるつもりで就職を考えた。しかしまたも、柔道を続けるよう説得する有井を通じて天理大に進学する。日本を代表するトップ選手たちが在籍する名門に混じったが、その先に五輪があるとは考えていなかった。

「自分には、柔道の才能なんてこれっぽっちもありませんでしたからね。オリンピックに行けるなんて思ってませんでしたし、康生(井上康生=現・日本代表監督)やヒロ(野村忠宏=天理大後輩で五輪3連覇達成)のような柔道家と自分は全く違う。ただ、才能もない自分を、オリンピックの大舞台で戦わせたいと諦めずに、見捨てず、厳しく指導してくれた先生方に恵まれました」

全国大会での優勝は大学3年の全日本学生選手権が初めて。遅咲きは、その後、ゆっくりと花を咲かせるが、それでも社会人2年目で迎えたアトランタ五輪には出場できず、シドニーでついに五輪代表の座をつかむまで時間はかかった。

「先生方の指導に恵まれる『運』はあったけれど、オリンピックには結局『縁』はなかったんかもしれません」

00年9月、27歳で迎えたシドニー五輪100キロ超級決勝で背負った「誤審の篠原」という看板の重みは、20年がたとうとする今も、全く変わっていないのだろうか。

=敬称略、次週に続く

(スポーツライター 増島みどり)

篠原信一
1973年1月、神戸市長田区出身。中学1年より柔道を始める。高校まで無名だったが、天理大に入学してから頭角を現す。95年同大を卒業後、旭化成に入社。98、99年、2000年の全日本選手権で3連覇したほか、99年世界選手権では100キロ超と無差別の2階級で金メダルを獲得した。日本男子が重量級で優勝したのは五輪、世界選手権を通じて8年ぶりだった。00年のシドニー五輪では、誤審によりフランスのダビド・ドイエに敗れて銀メダルに。内またを透かして投げたにもかかわらず、これが逆に相手の有効とされた(大会後、国際柔道連盟はドイエの有効にポイントを与えるべきでなかったと結論づけた)。01年の全日本決勝で6歳下の井上康生に敗れ、同年の世界選手権では銅メダル。02年に母校である天理大の監督に就任、03年に引退を表明した。08年には斉藤仁の後を継いで男子柔道日本代表監督に就任。直前の北京五輪で金メダル2つだった男子柔道の再建を託されたが、12年ロンドン五輪は初の金メダルゼロに終わった。責任をとる形で辞任した後は、タレント活動や後進の指導に取り組んでいる。身長190センチ、体重105キロ(現役時代は135キロ)。柔道6段。3男1女の父。
増島みどり
1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる18年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師

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