私は常々、セミナーなどで「老後不安をなくすには老後をなくせばいい」といってます。「老後をなくす」というのは可能な限り、現役で働き続けるということです。
多くの会社員は定年後、働くのを辞めてしまいます。最近では定年後の再雇用制度が広がってきてはいますが、それでも大半の企業は65歳までしか仕事を続けることができません。つまり、生涯現役で働いている人はそれほど多くはないということです。
落語では「老後」という概念はない
ところが先日、落語家の立川談慶さんの「老後は非マジメのすすめ」という本を読みましたが、とても興味深いことが書いてありました。落語の世界を通じて老後の様々な生き方や考え方について考察するユニークな内容で、冒頭に「そもそも『老後』という概念のない落語の世界」という一節が出てくるのです。
現在演じられている落語の多くは江戸時代後半から明治期にかけての庶民の生活がベースになっています。ところが当時、働いている人の多くは勤め人、すなわち会社員ではなく、今でいう自営業だったのです。
従って、落語に登場する人物も都会では商人や職人といった人たちですし、地方なら農民や漁師ということになります。彼らの多くは生涯現役です。
つまり、働けなくなったら「お迎えが来る」のが常識だったわけです。「人生100年時代は70歳まで働く」といったように長く働き続ける機運が出てきたと思うかもしれませんが、日本ではずっと昔から元気なうちは働き続けるのが普通でした。
もちろん、落語にはご隠居さんが登場します。ご隠居さんは確かに仕事は引退しているでしょうが、決して人生を引退したわけではありません。町内のまとめ役であったり、もめ事の仲裁役であったり、立派に世の中の役に立っているのです。
年を取っても社会と関わり続ける
人生ではバリバリの現役なのです。つまるところ、仕事をするかどうか、その量が多いか少ないかは別として、年を取っても社会と関わり続けることが、元気であり続ける秘訣なのでしょう。