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師匠が黒と言ったら、白いものでも…

立川吉笑

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NIKKEI STYLE

落語界はいまだに徒弟制度が色濃く残っている稀有(けう)な世界だ。「真打(しんうち)」の師匠に弟子入りしないと落語家になることはできない。

入門するとまずは「前座」と呼ばれる身分になる。落語の修業は当然として、落語界のしきたりを覚え、お茶を出したり着物を畳んだりといった雑用をこなす。「二ツ目」に昇進すると晴れて落語家と名乗ることができる。前座は落語家未満、まだ落語家ですらないのだ。

前座修業の理不尽さを表す決まり文句がある。「師匠が黒と言ったら、白いものでも黒になる」。弟子入り直前、僕はこの言葉が頭から離れず、これから一体どうなるのだろうと随分不安に思ったのを覚えている。

入門してみると、師匠の談笑は思っていたよりもずっとずっと優しかった。何かを求められても、理不尽なことは一切ないから、きちんと自分で考えて行動すれば叱られることはない。まれに叱られても、何がダメだったか明確にわかるから反省もしやすい。

だから僕の前座生活は、恐れていたような徒弟制度の洗礼を受けることはなかったけど、ひとつ印象に残っている出来事がある。それは立川流の中でも特に礼儀作法を大事にされるA師匠とのやりとりだ。

我々前座はことあるごとにA師匠に叱られていた。お茶の出し方、あいさつの仕方、字の書き方、着物のたたみ方。他の師匠方だったら見逃してもらえるくらいささいなことでも、A師匠は常に指摘された。

翌日の落語会のプログラムを見てA師匠とお会いすると分かれば、その晩は前座仕事のイメージトレーニングをいつも以上に入念にして「明日は絶対ノーミスで一日を終えよう」と固く決意していた。それでも必ず何かしら至らない点があり、叱られる。そんな日々が続いていたある日のこと。

前座はひたすら動く

楽屋で働いている前座は、自分1人しかいなかった。通常は2人で回しているのだが、たまたま他の前座のスケジュールが埋まってしまっていた。2人でもバタバタするのに、それが1人になると当然、手が足りなくなる。ある演者の高座が終わったら、次に高座に上がる方の出囃子(でばやし)を再生して、高座返し(座布団をひっくり返して、名前を書いた「めくり」をめくる仕事)にいく。楽屋入りされた師匠にあいさつしてお茶を出す。上着を預かってハンガーにかけ、靴はげた箱にしまう。その際、どの靴がどなたの物なのか覚えておく。出番を終えられた師匠の着物を畳む。反対に出番が迫ってきた師匠の着付けを手伝う。たばこを吸う師匠には灰皿を出す。どこかで鼻をかむ音が聞こえたらゴミ箱を持っていく。後から演じる方のために、どの演目が高座にかかったのか記録しておくネタ帳も書き漏らしは許されない。

全方位的に気を使いながら、とにかく動く、動く、動く。そして、そんな僕の様子を楽屋の隅でA師匠が見守ってくださっている。こちらの勝手な妄想の中では、A師匠は完全に「審判」だ。反則(粗相)をした瞬間にホイッスル(「おい、手前(てめ)ぇ!」の怒鳴り声)が鳴る。ヒリヒリするような緊張の中で、動く、動く、動く。そして、あと数人で落語会が終わるというころ、事件は起きた。

 何とか1人で全ての作業をこなしていたけど、ついに手がいっぱいになってしまった。高座を終えられたB師匠が私服に着替えられるタイミングで、最後の出番のC師匠(喫煙者)が楽屋入りされ、同時に私服に着替えられたD師匠が帰られることになったのだ。B師匠の「着物を畳む」「私服を渡す」。C師匠に「あいさつする」「お茶を出す」「靴をしまう」「灰皿を出す」。D師匠に「上着を渡す」「靴を出す」「あいさつする」。まるでパズルゲームの終盤のように、やるべきタスクがいっぺんにやってきた。

ゲームだと対戦相手が見事な連鎖を決めて、こちら側にたくさんの妨害ブロックが落ちてきたような場面だ。コート(楽屋)の隅では審判(A師匠)がこちらの様子を見ている。「さぁ、頑張りどころだ」とこれまで以上の速さでタスクを処理していた時、気がついた。「いつもの灰皿置き場に灰皿がない!」

喫煙者が多い楽屋だったから、きれいな灰皿は全て使ってしまい、洗って乾かしているものがシンクの横にあるのみ。あと数秒でゲームオーバーになってしまう最終盤で、所定の位置に灰皿を用意していなかったのは痛恨のミスだ。「やばい」と思いながら、アスリートばりの瞬発力でシンク横の灰皿を取りに行こうと思った時、さらに想定外の出来事に見舞われた。「いつもの場所にサンダルがない!!」

衝撃は「ホイッスル」の後に

楽屋は畳敷き、シンク周りは土足スペースになっていて、いつもはシンクのすぐ近くにサンダルを置いている。それが、この日は1人でバタバタ動き回っていたせいで、サンダルは楽屋出口側に置いてしまっていた。数メートル離れた楽屋出口側に回り、サンダルを履いてシンク側に戻ってくる時間はない。もう数秒以内に灰皿を用意しないと、詰む。

「ええいままよ!」と、本当はやっちゃいけないことだけど、追い詰められた僕は左足をシンクの前の地面に踏み出し、爪先立ちになりながら、体を伸ばして灰皿を取り、師匠の前に差し出した。その瞬間、やっぱりホイッスルは鳴った。「おい、手前ぇ! 今、なにやった!!」

「申し訳ございません」

「いま、土足の場所を足袋で歩いたな」

「申し訳ございません!」

「いいか、お前たち前座が汚れた足袋で楽屋を歩くだろ? 俺たちはそこで着替えたりするんだ。着物が汚れちまうだろ」

審判の指摘は至極まっとうだ。この場合100対0で自分が悪い。ここまでならよくあるやりとりだけど、この日はさらに続きがあった。

「さっきから見てたらお前はベタベタ土足部分を歩きやがって足袋が真っ黒じゃないか! どれだけ汚れているか自分で確認してみろ」。そう言われた僕は「はてな?」と思った。というのも、汚れた足袋だとA師匠に叱られる可能性があるとわかっていた僕は、その日、新しい足袋をおろしていたのだ。僕が土足スペースを歩いたのは左足の爪先をつけたあの一瞬だけのはず。恐る恐る自分の足袋を見ると、それはもう見事に真っ白だった。

「どうだ汚れてるだろ?」とA師匠。「は、はい」と僕。「どれくらい汚れているか見せてみろ」と、さらに間合いを詰められてしまった。どうしよう。お見せしないわけにはいかないけど、多分楽屋内でいま一番白いのが自分の足袋だ。A師匠のために足袋を汚そうにも、楽屋内には泥など落ちていない。さぁ、どうしよう。意を決した僕はそのまま真っ白に輝く足袋を脱いでA師匠に差し出した。それを見た師匠の言葉を聞いた瞬間、衝撃が駆け抜けた。

「な、黒いだろ」

あの「師匠が黒と言ったら、白いものでも黒になる」という言葉。てっきり前座修業はそれくらい理不尽だよと、あえて言葉にしてみた象徴的な表現だと思っていたのが、そうじゃなかった。「こんな身近に起きることを表していたんだ!」と、感動にも似た思いがわきあがった。

きっとその昔、本当にそういう事実を目にした弟子がいたはずだ。いわゆる故事成語も、誕生する瞬間というのはこういうものだったのかもしれない。その再現のような場面に自分は立ち会えたのだ。

A師匠の小言は、そのまま続いた。無理もない。叱っている目の前の前座がニヤニヤしていたのだから。おそらく理不尽を感じていたんだと思う。

立川吉笑
 本名、人羅真樹(ひとら・まさき)。1984年6月27日生まれ、京都市出身。180cm76kg。京都教育大学教育学部数学科教育専攻中退。2010年11月、立川談笑に入門。12年04月、二ツ目に昇進。古典落語のほか、軽妙かつ時にはシュールな創作落語を多数手掛ける。立川談笑一門会やユーロライブ(東京・渋谷)での落語会のほか、水道橋博士のメルマ旬報で「立川吉笑の『現在落語論』」を連載する一方、多くのテレビ出演をこなすなど多彩な才能を発揮する。著書に「現在落語論」(毎日新聞出版)。

これまでの記事は、立川談笑、らくご「虎の穴」からご覧ください。

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