「飲み放題」を世界はどう見る キリンHD社長の視線
キリンホールディングス社長 磯崎功典氏(下)
14年続くビール類の市場低迷は、「ビールだけ売ろうとしてきたメーカーにも責任がある。これからは食とのマリアージュを考えた、クラフトビールの販売に力を入れたい」と磯崎社長は語る。食とのマッチングを考える場合、検討の大前提となるのが日本人の食の嗜好の変化だと言う。(前回の記事は、「ビール低迷、原因は「とりあえず生」 キリンHD社長 」)
――ビール類に対する味の変化、日本人の嗜好の変化について伺いたいのですが。
いくつかあると思いますが、うちは一昨年、「一番搾り」の味を変えました。看板ビールの味を変える、しかもそれをタレントを使ったCMまで流して訴えたことは、非常にハイリスクなことでした。味というのは保守的なものですからね。
「一番搾り」の場合、本当に好きな人が深く愛してくれている。これを奥行きと言います。ただ、好きな人の間口が狭いのではないかという問題がありました。支持してくれる消費者の数は、間口×奥行きの面積で決まるわけだから、何とか間口を広げられないか、そのためには奥行きを多少犠牲にしてもいい、ということで味の改良に取り組みました。本当にあらゆるテスト、試飲を繰り返しました。
――なぜ別ブランド、新ブランドを立てなかったのですか。
製法は変えていませんし、新ブランドとなるとコストもかかる。以前ラガービールの製法を変えて、生化(なまか)をしたのですが、これは大失敗でした。クレームの山でした。しかし「一番搾り」の時は、ほとんどクレームが来ないで、ものすごく間口が広がった。ハイリスクだったけれど、ハイリターンがありました。面積が大幅に広くなったのですね。
――具体的にはどこを変えたのですか。
これもものすごくたくさんあるのですが、一口で言えばホップとpH(水素イオン指数)の調整ですかね。一方で新ジャンルビールの「本麒麟」は徹底的な嗜好調査の結果、長期低温熟成の製法で味を決めたのですが、これが爆発的にヒットして、昨年は品切れも起こしてしまいました。
――消費者の味覚、嗜好の変化というのはどうとらえているのですか。
これは調査、調査、調査という形で変化を見ています。
――具体的にはどうなのでしょう。例えば重い味から軽い味に好みが変わってきているとか、10年サイクルで変化しているとか。
そんなに単純なものではありません。毎年毎年膨大な調査を続けていて、ある時には軽い味、またある時には本格的な少し濃い味など、その時々で変化しています。ただ、濃い味にしても、決して昔の味ではありません。味覚については本当に色々な要素が絡みますからとても一口では言い表せませんね。専門家を連れてきたら一晩中でも話しますよ。
私は味でも広告、パッケージデザインについても、一切口をはさみません。現場の担当者が決めてくれればいいことで、唯一口を挟むのは倫理上の問題です。「このCMだと、未成年者の飲酒を誘発するのではないか」とか「差別につながりかねないよ」といったことは言います。企業責任が問われますからね。
――ビール類の先行きについてはかなり厳しい見方をされている中で、食とのマッチングを重視したクラフトビールに一筋の光明を見いだしていらっしゃるようですね。ただ、キリングループとしてみると医薬品など、酒類以外も健闘されています。
医薬品分野は相当なものになってきました。これらはすべて発酵技術からきています。ただ、10年先を見通すと、ビールを中心とした酒類、飲料、医薬品のどれをとっても安泰なものはない。特にアルコールの分野は、これから風当たりが強くなる心配があります。
世界保健機関(WHO)が、さんざっぱらたばこ会社をやり玉に挙げてきました。これが一段落したら、次はアルコールに向かう恐れがあります。特に今年はラグビーのワールドカップ、来年はオリンピックがあり、世界中から人が来ます。
その中で、「飲み放題」とか「2時間一本勝負」ということをやっていたら、世界から来た人たちがどう思うか。「適正飲酒」と言っておいて、これはないですね。駅のベンチで寝込んでいる人は、昔ほどいなくなってはいますが、我々としては「アルコールを作っている会社です」と胸を張って言えるか、ということです。
飲料についても、砂糖の問題、肥満の問題があります。医薬品については、薬価引き下げの問題があります。長い間、大変なお金をかけて新しい医薬品を開発しても、財政事情からジェネリック医薬品の採用や薬価引き下げの問題は避けられない。これで我々、本当に持続的に成長を続けられるのだろうか。そこで、今持っている技術や蓄積で何ができるかを考えた時、「未病」の領域に取り組むことになったわけです。
――まだ病気ではないけれど、このままでは病気になる可能性が高い人たちが対象ですね。
医薬品だと販売に国の承認も必要だし、使うには医者の処方箋もいる。その手前の分野ですね。うちが医薬品を始めたのは1987年から88年ごろで、まだビール事業が強かった時代です。そこから30年余りたった今、ようやく花開こうとしています。「クリスビータ」という、遺伝性くる病の薬が欧米で高く評価されている。米食品医薬品局(FDA)が「ブレークスループロダクト」と言ってくれている画期的商品です。これを中核として開発してきた人は、キリン入社以来、この研究しかしてこなかった。今は50歳を超えています。
キリングループとしては、IT(情報技術)や宇宙開発、電気自動車で世界のトップをいこうなんて考えずに、これまでやって来た発酵・バイオテクノロジー分野の技術と蓄積で勝負をしていく。すべて自前でやると時間がかかるなら、外部の企業などと組むことで開発のスピードを上げていくことも大切です。その分、こちらの取り分は少なくなるかもしれませんが、やはりスピードが大事です。研究者を焦らせてはいけませんから、「何とか10年のレンジで研究を進めてくれ」と言っています。
――昨年でしたか、免疫力向上につながる可能性のあるプラズマ乳酸菌を発表されましたね。
これも画期的な商品でして、一昨年、英国の科学雑誌「ネイチャー」でも取り上げてくれました。多くのお医者さんもその効用は認めてくれていますが、これは医薬品ではなく、サプリメント、食品としてやっていきます。例えばポテトチップスにまぶしたり、ふりかけの中に入れるなど、応用範囲が広いですから。また、昨年は三井物産と一緒に、米国のソーンという会社に出資しました。米国は広いので、そう簡単に医者に行けない。そこで無痛針を着けた注射器を配り、消費者が自分で採血したものをセンターに送ると、それを分析して「あなたの健康状態はこうで、このサプリメントを飲むといいです」と、結果と一緒にサプリを送ってくる。
――三菱商事ではなく、三井物産ですか?
三菱商事を外したのではなく、三井物産が先に出資していたのです(笑)。これらもすべて薬ではなく、健康領域を対象とした食品です。いずれにしても、キリングループは、一般の食品市場に参入することはありませんが、発酵技術を基盤とした医薬品や未病の人を助けるサプリメント・健康食品分野の深掘りをしていく所存です。
1953年生まれ。77年慶応義塾大学経済学部卒業。同年キリンビール入社、神戸支店業務課配属、87年海外留学(米国)。94年経営企画室室長代理、96年マーケティング本部マーケティング統轄部企画担当部長代理。98年キリンホテル開発。2001年キリンビール広報部報道担当部長代理、04年サンミゲル社取締役。07年キリンホールディングス経営企画部長。08年執行役員経営企画部長、10年常務、12年キリンビール社長。13年キリン社長兼キリンビール社長、15年キリンホールディングス社長兼キリン社長。
(ジャーナリスト 加藤秀雄)
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