自分の未来、まず絵に描こう ラクガキコーチのお仕事
タムラカイさん
技術の進化や価値観の多様化によって、個人の働き方も新時代を迎えている。新連載「オシゴト図鑑」では、型にはまらない新しい働き方や肩書を自ら見いだした先人を紹介する。第1回は富士通デザインの社員でありながら「ラクガキコーチ」として活動するタムラカイさんのオシゴトに迫る。
「ラクガキコーチ」ってどんな仕事ですか?
最近だとグラフィックレコーディング(グラレコ)という名前で呼ばれているのですが、イベントや会議の内容を即興で絵として書き起こしたり、絵を描きながら自分自身や企業の方向性について考えてみるというワークショップを開いたりしています。
例えば自分を振り返るワークショップでは、気持ちを顔の表情のイラストにする「エモグラフィ」、目標達成への道筋を描く「スパイラルマップ」など、自分が今まで当たり前のようにやっていたことをベースにメソッドを作り、ラクガキを役立つ方向で使うということをやっています。
企業向けだと、例えばビジョン作りの手伝いをすることがあります。その会社の方々の思いをまずは聞いていくのですが、それをいきなり何ですかと聞いてもポンとは出てこないので、描きながら引き出していく。その会話をグラレコして、その内容を俯瞰(ふかん)してみて、「ここが大事なんじゃないですか」と問いかけます。
大きく言うと、「世界の創造性のレベルを1つ上げる」ということをミッションにして様々な仕事をしています。ですからグラレコもただ記録するのではなく、その場でのコミュニケーションを良いものにしていく、そのための触媒であるという意味で「グラフィックカタリスト」という肩書も持っています。
デザインってもともとは広い概念で、課題を見つけることやアイデア出し、組織開発まで幅広く使えます。最近はデザイン思考という言葉が出てきていますよね。僕は「学びと対話をデザインする」という言い方をしているのですが、それが場所によっては研修だったり、事業のアイデア出しだったり、個人の内省の場だったりと形を変えます。
説明が難しいのですが、絵が必要なければ使いませんし、デザイナーとしての知見を皆さんの課題の解決に活用しているという感覚ですね。
なぜラクガキコーチになったのですか?
きっかけは2つあって、まずは富士通デザインの入社5年目に突然、別の部署への異動辞令が出たこと。一度抗議をしてみたのですが、そこで自分は会社の名前でしか仕事をしてこなかったことに気付きました。
異動先の部署でブロガーの方と仕事をすることがあって、自分の名前で会社と対等に仕事をしていることに感銘を受け、自分でもブログを始めてみました。これが09年のことで、今でこそブログはたくさんありますが、日本ではまだ珍しかった。新しいiPhoneを使った感想を書いてみたり、いわゆるガジェット系ブロガーですね。数年して「ブロガーのタムラさん」として社外で認知されていくようになって途中までは楽しかったのですが、「そもそもブロガーになりたかったんだっけ?」とも思うように……。
ちょうどその頃、ブログのコミュニティーで出会った友人から「絵を教えてほしい」と言われてラクガキ講座をやってみて、これが転機になりました。2014年2月に「ハッピーラクガキライフ」と銘打って開催し、10人ぐらいの参加者から「絵を描くことが楽しくなった」と言ってもらえて、何より僕がすごく楽しかったのです。
そこですぐさまラクガキ講座のサイトを作ってみたのですが、これまでのウェブデザインの経験や、ブロガーとして文章を書いてきた経験も生きて、サイトが検索されるようになり、「ラクガキで町おこしがしたい」と突然、地方の青年会議所の方から連絡を頂いたり、書籍化のオファーを頂いたりして、徐々に認知が広がっていきました。
肩書をどうしようかと考えたときに、人の話を聞いて描いて俯瞰して、これからどんな目標を設定しますかみたいなコーチングもしていたので、落書きとコーチングをかけて「ラクガキコーチ」と名乗ることにしました。
2003年 富士通デザイン入社
2008年 望まぬ異動でモチベーション下がる
2009年 個人ブログを開始
2014年 友人の提案でラクガキ講座を開始
2015年 「ラクガキノート術」出版
2016年 GCBを結成
独立しようと思わなかったのですか? 転職を考えた時期は正直ありましたね。ちょうど「ラクガキノート術」という本を出版する直前の14年末あたりでしょうか。プライベートは充実していくのに、当時の会社の仕事は楽しくなくて。会社が悪いと思っていた時期もありました。 さらに個人としての活動がうまくいってくると周囲の人から「独立してもやっていける」と言われるんですよね。でも僕は天邪鬼なところがあるというか、逆に「だったら会社にいるまま活動を続けて、さらに自分のスキルを会社に持ち込んでやろう」と考えたのです。 折しも富士通も変革しようと、共創という言葉を使い始め、デザイン思考教育を外部に提供し始めていました。これは僕の活動を会社に戻せるのではないかと思い、ある連続講座の一部で「僕のメソッドを使ってみませんか?」と社内で提案しました。 その後は社内のイベントや発表会などでグラレコの仕事を頼まれるようになり、それを見た社外の方から「うちのイベントでもやってほしい」と言われたりして、会社の仕事と社外の仕事がリンクしてくるようになりました。 実は同じようなことをやっていたという仲間も見つかって、社内で「グラフィック・カタリスト・ビオトープ(GCB)」というチームも結成することになりました。今では社外も含めて20人ぐらいいますね。 副業として会社に認めてもらっていたんですか? 現在は正式に副業のガイドラインができたのですが、僕が活動を始めた頃は明確に禁止はされていないという状況で、とりあえず始めてみたというところがありました。以前の上司に「外で作ったものを社内に還元して仕事をしていますが、万が一、逆の場合はどうなりますか?」と聞くと、「会社で作ったものなら、それは会社のものかな……」という、当たり前なのですがはっきりしない反応だったので、ややセーブして活動していました。 しかし今の上司に同じ質問をしたら「もうそれ(個人活動と会社の仕事)は分けられないから、気にしなくていい」と言われました。活動当初からブログやSNSも炎上しないように相当気を付けていましたし、デザインや新しいテクノロジーの知見を社内で共有し、事業にも貢献していて、信頼を頂いていたのだと思います。もし新入社員でいきなり同じことをやろうとしたらできなかったでしょうね。 若い人や学生にはどんなアドバイスをしたいですか?
「会社は学校じゃねえんだよ」という言葉が一時流行しましたね。確かにそれはそうなんですが、じゃあ会社って何をする場所なんだっけ、と考えると面白いかなと思います。
忙しい日々が続くと、いつの間にか言われたことをやる場所と考えてしまう人も多いですが、実地の体験を学べる場所が会社だと思うんです。自分で営業しなくても仕事がある、もしくは営業という仕事が学べる。石の上にも3年、と上の世代は言いますが、ただ3年を無駄遣いするのではなく、3年かけて学べることがある。その間に本当にやりたいことは何だろうと考える、猶予の期間としても会社は活用できるのです。
実は大学院に行こうと思っていたし、そもそもサラリーマンになるのってダサいと思っていたこともありました。でも父親から「会社というものを知らずに独立や起業をしても、仕事相手は結局企業だからな」と言われたことがあります。仕事相手の会社のルールやどんなマインドで動いているのか、知っているだけで全然違いますよね。僕自身が大企業の人間だから理解できることがあって、今となっては父の教えはなるほど、と思います。
どうしても今はネットやSNSが発達して、22歳で起業して何億円資金調達とか、目立つ人に目が行きがちで、焦ってしまったり、自信をなくして自分を卑下しまっている子が多い印象です。
でもここまでの人生で学んだのは、何事も焦るとうまくいかなくて、結局は地道が最強ということです。30歳のときでも何者でもなかった僕の経験から言えるのは、しっかりとした土台を作った方が最終的には強い。人間関係も、多様な人材がいるということも、会社で学びました。
やりたいことがあるなら、じゃあやってみよう!という話でしかないですが、もし何をしたいかわからないと思っているなら、会社を学びの場だと捉えて、やりたいことを探すために会社を使うという発想もいいのではないかと思います。
(安田亜紀代)
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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