日経ナショナル ジオグラフィック社

2019/2/27

試合が終わる頃には、選手たちが顔から血を流していたり、手足を骨折していたりするのは当たり前で、骨が皮膚を突き破っていることもある。彼らはいったい、なぜそこまでするのだろうか?

2016年決勝戦の乱闘(PHOTOGRAPH BY CLARA VANNUCCI, INSTITUTE)

昔からこのゲームの勝者には、牛、少しばかりの金、パーリオと呼ばれる絵の描かれた旗のようなものが贈られることになっているが、彼らの目的は賞品ではない。大半のスポーツがそうであるように、カルチョ・ストーリコにおいてもっとも価値があるとされるのは栄誉だ。試合に勝って、それからの1年間、地元の伝説となることには、値段の付けられない価値がある。

2016年の決勝戦を終え、勝利を祝うビアンキ(白チーム)(PHOTOGRAPH BY CLARA VANNUCCI, INSTITUTE)

果たしてカルチョ・ストーリコとは何ものか。多くの現代スポーツの祖先となった多大な影響力を持つスポーツなのか、それとも、穏やかで繊細なスポーツの台頭とともに存在感が薄れていった野蛮なスポーツなのだろうか。答えは、おそらくその両方だ。それにしてもイタリア人は、なぜこうした血なまぐさいスポーツを、フィレンツェの中心にあるサンタ・クローチェ広場のような公共の場でやりたがるのだろうか。それは彼らがこのゲームの歴史に息づく文化に、大いに誇りを抱いているからだ。

ファンで埋め尽くされたスタンド。2015年の決勝戦開始前(PHOTOGRAPH BY CLARA VANNUCCI, INSTITUTE)

またヴァンヌッチ氏はこう述べている。「これは誰もが持っている動物的な一面を外にさらけ出すための手段なのです――それは観衆にも、選手にも言えることです」。日常生活では犯罪とされる激しい暴力も、この日ばかりは、市長がやってきて声援を送る行為となる。

次ページでも、迫力の試合の様子を、ヴァンヌッチ氏の11点の写真で紹介しよう。