障害者も一緒にプールへ 千葉すずさんが教える泳ぎ方千葉すず(4・最終回)

「水をキャッチするとみんな言うけど、英語じゃイメージが難しいねん。だから、すくって抱える、って日本語で覚えてくださーい」

「水と仲良くせなあかん。水には優しい気持ちで接してくださいよ、そう、私みたいに」

笑い声が聞こえるとすかさず、「何で笑うねん、笑い過ぎや」と返す。

まるでコントをしているような軽妙なやり取りでレッスンはシンプルで分かりやすい。最初は呼吸から、次に水のかき方、両手の動かし方、最後に脚と手を合わせた体全体の使い方、と4段階を経ると、障がいを持つ参加者たち、子ども、高齢者、初心者それぞれが、短時間で驚くほど上達していく様子が分かる。

レッスン中、「私は、水の中での生活のほうがずっと長かったんです」と言った。市民プールで教えられていたのは、「天才」と呼ばれたスイマーが一日20キロを泳ぎ、日本で、海外で常に最高峰を目指して競技に向き合った結果、絞り出された高度な指導論のように聞こえた。トップスイマーたちがもし彼女の指導を受ける機会があれば、どれほど歓迎されるだろうと想像できた。

「ここは、自分が、気を使わずにいられる場所ですから」と、千葉は笑う。「ここ」とは、ベースの関西で、関西弁で飾らず、楽しそうに話せる場所を指し、水泳を本当に楽しみたいと願う人びとが集まる様子を表し、もちろん、長く付き合ってきた水泳、慣れたプールを意味しているのだろう。

機会の不平等、何とか変えたい

千葉は障がい者も一緒に水泳を学べるよう自治体に働きかけてきた(堺市立健康福祉プラザ)

障がいを抱えた人々がスイミングスクールや公営プールを使用できる機会はオープンに与えられているわけではない。

まず危険性が指摘され、次に専門的知識を持つスタッフがいないから、と断られるケースは多い。こうした状況を、スイミングに通う2男2女をサポートする母親は、他人事とはしない。何とかしようと行動する。大阪のセミナーで「両者が一緒にスポーツを、水泳を楽しめる環境がまだ整備されていない」と、問題提起しているのを聞いた自治体のある長が「それならぜひやりましょう」と話をしたが、多くの障壁に続かなかった。

しかしイベントを主催したプール側は、参加者誰もが「楽しい」「もっとやってほしい」と口にした感想をくみ取り、「是非うちで引き継いでやっていただけないか」と、直接オファーを出したという。

千葉と、こうしてユニークな教室を5年間続けてきた「フィットネス21事業団」の中村行伸所長は「千葉さんのバイタリティー、明るさが継続のエネルギーになりましたし、私たちも楽しみなイベントに成長しています」と話す。20年東京五輪開催が決定した後、何に、どう関わればよいのか、スポーツ界全体が模索していた時期から、千葉と事業団は、1日限りの華々しいイベントとは一線を画し、大阪で年間10カ所、五輪スイマーの教室に障がい者と健常者が両者そろって参加できる機会を設けてきた。

「大きなイベントで、上手な子どもたち、教えてもらうチャンスのある人たちに教えるよりも、普段、そんな機会を持てない、でも水泳を楽しんでうまくなりたいと思っている人たちの所に出掛けて行きたいんです」

レッスンが終わり、そう聞いた。

「東京オリンピックに何か関わりたい」と、出場を狙う選手だけではなく、多くの元選手たちが口にする。組織に加わる、強化に携わる、あるいはメディアの立場としてリポートする。様々な選択肢がある。しかし、イベントに呼ばれ、企画をおぜん立てされるのではなく、自分の思いを支援者と形にしようと広めてきた活動は、独自のものだ。

定員オーバーのために参加できなかったという男性が、教室の開催中ずっとプールサイドで水着のまま見学していた。ストレスから体調を崩してしまい長く休職している、と明かしたが、体は引き締まり、表情はとても明るい。

「辛かった時期に水泳をやってみたら、もうハマってしまって。まさか自分がこんなに泳ぐなんて思わなかったんです。きょう一緒には泳げませんでしたが、千葉さんの言葉は水泳が上達するヒントだけではなくて、心にも響きました。来て本当によかった」

楽しむことで困難も時に乗り越えられる。男性はそう話し、復帰も近いかもしれない、と笑った。

見栄張らんと、ひとつずつ丁寧に

20年も前、五輪代表選考を巡って、選手として初めて、選ぶ側に明確な選考基準の説明を求め、その勇気はその後の日本のスポーツ界を変える結果につながった。

メダリストとそうでない選手を、ただ2つだけに分類しようとするメディアのメダル偏重にも率直に異を唱え、「競技を楽しむ」と信念を口にした。

取材で、そんな女性アスリートが築いてきた日常にわずかでも触れ、彼女が今も、どれほど厳しい練習にも音をあげずにあこがれ、追いかけた夢、オリンピックの経験を大切にし、その経験を自分の過去としてしまうのではなく、多くの人たちと共有しようとする姿を知った。

レッスン中、千葉が大きな声で、笑いながら参加者にこう呼びかけた。

「いいですかぁ皆さん、見栄なんて張らんと、ひとつずつの動作を丁寧に、きちんとやりましょう。そうでないと、人間は前に進めません」

水泳の技術の話であり、それだけではないようにも聞こえた。

=敬称略、この項終わり

(スポーツライター 増島みどり)

千葉すず
1975年8月、横浜市出身(実家は仙台)。中学生で五輪を目指し、強豪の大阪イトマンスイミングスクールへ単身留学した。90年の日本選手権で自由形3冠。91年世界選手権で400m銅メダルを獲得した。世界的に選手層が厚い自由形で、日本女子のメダル獲得は五輪・世界選手権を通じて初の快挙だった。92年バルセロナ五輪(200m自由形6位、400m同8位、メドレーリレー7位)と、96年アトランタ五輪(200m自由形10位、800mフリーリレー4位)に出場。2000年シドニー五輪に挑戦するも日本選手権で優勝しながら落選した。同年10月の現役引退後は、アテネ五輪200mバタフライ銀メダリストの夫・山本貴司氏(40=近畿大水上競技部監督)と2男2女を育てながら、島根県浜田市三隅町の「ユネスコ無形文化遺産石州半紙PR大使」を務めるほか、講演活動や障がい者と健常者を一緒に指導する独自の水泳教室も行う。
増島みどり
1961年、神奈川県鎌倉市生まれ。学習院大卒。スポーツ紙記者を経て、97年よりフリーのスポーツライターに。サッカーW杯、夏・冬五輪など現地で取材する。98年フランスW杯代表39人のインタビューをまとめた「6月の軌跡」でミズノスポーツライター賞受賞。「In His Times 中田英寿という時代」「名波浩 夢の中まで左足」「ゆだねて束ねる ザッケローニの仕事」など著作多数。「6月の軌跡」から20年後にあたる18年には「日本代表を、生きる。」(文芸春秋)を書いた。法政大スポーツ健康学部講師

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