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生き方

何が何でも五輪レギュラーに ~リボン3本投げ習得へひたすら練習 新体操のほっち(10)

坪井保菜美 新体操元日本代表

2019/1/9

みなさんこんにちは、新体操の坪井保菜美です。早いもので、今回の連載で10回目を迎えることとなりました。いつも読んでくださり本当にありがとうございます。

オリンピックに出場することが目的で2006年に結成されたフェアリージャパン。この目的を果たせなければ解散と言われていました。コーチも、選手である私たちにとっても、毎日が戦いでした。そんな日々を乗り越え、繋いだ北京五輪への道。チーム全員で喜びました。日本に帰国後、応援してくださったたくさんの方々に良い報告ができ、一つ恩返しができたかなとホッとした気持ちもありました。

喜びも束の間、今まで以上に過酷な生活に

しかしいつまでも喜びに浸ってられません。帰国後すぐにコーチから、これからは今まで以上に過酷な生活であるということ、生半可な気持ちでいるようじゃここへはこないでほしいと言われました。たくさんの期待と同時に、これまで以上にプレッシャーがかかるそういった重圧の中、どんなことにも動じないメンタルがなければここではやっていけない。それでも乗り越えられる覚悟があるのか、よく考えるようにと言われ私たちは世界選手権後、一度それぞれの実家に帰省した。

帰省といっても、休みのようで休みでない感じ。不安もあったし、これまで以上にキツイって・・どんな練習だ。。コーチの言葉は正直怖い。けれども、これまでも一生懸命頑張ってきたんだ! 家族に支えられながら乗り越えてきたんだ!! オリンピック出場を決めたからには、何が何でも出たいという気持ちがより強くなり、ここでやめるわけがない!という想いで東京へ向かった。

実は私、フェアリージャパンのチームに入る決断をするまでオリンピックに出たいと思ったことが一度もないんです。私の夢はずっと、新体操の先生になることでした。6歳のときから指導して頂いてる先生に憧れたのがきっかけです。日本の新体操団体が、2008年北京オリンピック出場を決めた時点で私の夢は、"オリンピックに出た新体操の先生"に変わりました。新体操の先生はたくさんいるけれど、オリンピックに出た新体操の先生は少ないと考えたからです。

また、自分の経験を通してたくさんの人に新体操の魅力を伝えて行く側になりたいとも考えていました。日本の新体操がまだまだマイナーだったからです。世界の試合を経験して知ることがたくさんありました。試合会場の盛り上がり方や、お客さんの数。日本との差を大きく感じたのです。

もう一つの夢は、新体操を極めてモデルになること。←これ、母親にしか言った事ありません。いや、言ったっけな? ほんと言うと、一番強く胸に秘めていた事だったのです。内心恥ずかしくて誰にも言えませんでした。新体操で鍛えた身体を生かしたお仕事をしたいという想いと、自分の経験をたくさんの人たちに伝えて行きたい、そしてそれぞれの夢や目標に向かって希望を持って歩んでほしいという気持ちが常にありました。そんな夢を持ちながら、いざオリンピックに向けて新たな生活が再スタートしたのです。

「ここまできたらやるしかない」力振り絞り練習、練習...

世界選手権のメンバーが、出場権を獲得したからといってオリンピックに出られるとは限らない厳しさが待ち受けていました。再び仲間と争い、レギュラーの奪い合いが始まるのか・・。しかも新たにメンバーが加わってきたのです。これまで以上にレベルを上げ、強化していくためには必要なことなのかもしれません。仲間が増えるということは、ライバルが増えるということ。より危機感を持って毎日を過ごさなければという緊張感がいきなりありました。気が抜けない...練習も、生活も...。

(心の声)世界選手権に出るために必死で戦った。そして世界選手権でオリンピックに繋げた! 多くの支えありきなのは重々承知の上、自分一人が欠けては繋がらなかったこのオリンピック。それなのにオリンピックに出られないなんて許せん! どうしたらオリンピックに出られるのか。毎日毎日考えました。顔に出ないが心はメラメラ。(たぶんね)

私に足りないものはたくさんありました。新しい仲間には自分にないものを持っている。それは全員にも言えることで、人を羨むこともありました。それぞれに良いものがあり、欠点もある。私にだって持って生まれたこの身体に、良いところは必ずあるはず! そこは最大限に引き立たせアピールし、自分に足りないところを努力して改善していかなければ。でないとメンバーには絶対に選ばれないと考えました。他が下手くそでも、これだけは誰にも負けないようにしようと決め、一つのことにこだわって練習するようにしたのです。

1日約8時間の練習に対し、みんなと同じように始まり、終わっていては自分の長所を伸ばせない。それ以外に1分でも10分でも長く練習をしなければ、みんなについて行くことも難しい。そしてもちろん上達しない。でも私、しょっちゅうコーチから省エネでやらない!! みんなからは、返事しなさい!声出して!!と怒られているほどでした。努力が得意ではなかったんです。正直練習も好きじゃありません。けれどもオリンピックに出たい。そのためにはやはり練習。練習あるのみ。答えはわかっていたんですよね。

...ここまできたらやるしかない。オリンピックを目標に力を振り絞り、ひたすら苦手なものをやるようにしました。頑張ったんです。

目標に向かって費やした時間を努力というんだと思う

みなさんは、できない、絶対無理!と言って、手を付けないものなどあったりしません? 途中でやめてしまったり、諦めたり。私も多々あるんです。でもこれって、実はもったいないことなんだ!と、自分が経験する上で気付いたのです。先ほども言いましたが、"努力"という言葉はよく聞きますよね。努力にもいろんな方法があると思うんです。

実際に私が経験して感じた努力というのは、できないと思ってもまずは1回チャレンジしてみる。数回繰り返していくうちに、もしかすると楽しく感じられたり、もう1回やってみよう!とはまったり。これを何度も何度もやっていくうちに、もっとこうするとできるかもしれない!と、研究したり工夫などし始めます。自らできるようにするためにどうしたらいいかを考えたり行動したり。気付くとこれが得意分野になることだって可能性はあります。誰でも初めから完璧にできる人間なんていません。コツコツと繰り返すことで、心も体も成長します。

私が、ある大技を求めらたときでした。それはリボンの3本投げ。一度に3本のリボンを持ち、3人のところに飛んでいくよう一気に投げる。当時この3本投げ、初めは難しすぎてできるわけがない!無理だ~と感じました。でももし、この技を誰よりもうまく体得すれば、ここのポジションは自分になる可能性だってあるんじゃないかと考えたのです。

そこから、私の"努力"は生まれました。取り掛かりが遅いが、やるときはやるんです! ということで、ひたすら繰り返しました。何度かやるけれど、うまくいかない事の方が本当に多くて。。くそっ!と思うことばかり。でもこれだけは諦めたくなかったんです。100・・1000・・・10000回と、何度も何度も練習していくうちに不思議と、もしかしてできるようになるかもしれない!?と、プラスに向かっている感触がありました。技に対し、工夫しては実践を繰り返す日々。

そしてついにこの技ができたとき、、心から素直に感動しました。嬉しかった。人間やればできるんだ、努力ってこういうことか。初めて努力のすごさを知りました。この努力をコーチもしっかりと見ていてくれたんです。「ほっちゃん、努力家だね」と。これがまた嬉しくて。

それからは努力を苦とせず、苦しいことや大変なことがやってきても、落ち着いて考えながら、これは成長する大切な時、と一つ一つ諦めないよう積極的に取り組むようにしています。努力をしても成功するとは限らない。でも、成功した人は必ず努力をしている。私が大事とするものは、この過程だと感じるのです。この過程、目標に向かって費やした時間を努力というんだと思います。

   努力

できない→→できる

   自信

成功したときは心の底から喜びに変わり、感動を味わうことができます。この努力は次第に自信につながるもの。この自信や努力は、人生歩んでいく上で必ず生かされます。

五輪メンバー発表、私の名前が呼ばれた瞬間・・

この北京オリンピックへは、補欠を含め6人しかエントリーできません。この時一緒に生活していたのは、9人の選手と、3人のコーチ。

2008年の8月にオリンピックは開催されました。新体操は、オリンピック種目の中で1番最後に行われる競技。コーチ達は、オリンピックの直前までメンバー同士を競わせ、誰を選ぶかを言いません。2ヶ月前の6月に入り、ついにコーチからメンバー発表をすると言われ集合がかかりました。心の中はドキドキです。

6人の名前1人ずつと、選んだ理由を述べながら発表されました。私の名前が呼ばれた瞬間、心の中ではやっと・・涙。という想いと、これでようやくメンバー争いから解放される。。という嬉しい気持ちでいっぱいになりました。自分のポジションにだけ集中できる喜びは、私にとって大きなものでした。

しかし複雑な想いも...。選ばれなかった3人は崩れるように泣いていました。みんなオリンピックに出るために、親元を離れ命懸けで戦ってきた。それぞれのやり方で努力していた分、行けない悔しさというのは選ばれたものにはわからない気持ちに違いない。ライバルでもあり、やっぱり仲間。毎日家族以上の時間を共にし、切磋琢磨しながらお互いを高め合ってきた。そんな仲間が悔しがっている姿を見るのは辛かった。。

選ばれなかった彼女達の姿をしっかりと目に焼き付け、彼女達の分までやり切らなければいけない!と、残された2ヶ月を集中して取り組むよう心に誓った。

さて次回は、ついにオリンピック出場が決まり、実際にオリンピックを経験して感じたこと、またオリンピック後の私へと続くお話をしていきたいと思います! 今回は今までで1番長い文面になってしまいましたが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございます。まだまだ書ききれない思いはたくさんありますが、今回はここで終わりとさせていただきます。

では次回もお楽しみに☆

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