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それでも親子

女優・藤原紀香さん 頑固な父がファンに見せた笑顔

2019/2/8

1971年兵庫県出身。92年にミス日本グランプリ受賞、モデルなどを経て女優として活動中。チャリティー写真展を開催するなど国際親善にも尽力。「二月競春名作喜劇公演」に出演中。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女優の藤原紀香さんだ。

――お母様はミス和歌山だったとか。

「171センチの私よりも背が高く、当時は嫁のもらい手がなかったとこぼしていました。私も高校生のころは『海遊館のタカアシガニ』なんてからかわれ傷つきましたが『小さいことは気にしない』という母の明るく前向きな姿勢に救われました。母は全国大会に挑戦したかったのに『女の子は台所に入っていればいい』と両親に反対され、泣く泣く断念したそう。私に夢を託すつもりだったのか、ミス日本に応募し、芸能界入りのきっかけを作ってくれました」

――一方、お父様はとても厳しかった。

「絵に描いたような昭和の頑固おやじです。大学生になっても、門限は夜の10時。門限を過ぎてしまった時には木刀を持って玄関の前で仁王立ちしていたことも。芸能界入りなんて大反対です。東京は鬼の住むところだと本気で思ってたようです。それでも講義にしっかり出るならと、新幹線で兵庫から東京に通いました。学校の勉強と往復生活に疲れ、円形脱毛症になってしまったこともありました」

「東京での芸能活動はあきらめようかと思った時、阪神大震災が起きました。生き延びて初めて、人生やりたいことをやらずに後悔したくないと東京行きを決心しました。父は最後まで首を縦には振りませんでしたが、東京に行く前日に突然『トラック用意したから荷物を積め』と。東京まで夜通し運転してくれたんです。照れくさくてありがとうとは言えなかったけれど無言でハンドルを握る父の横顔をずっと見ていました」

――夢の東京生活は一筋縄にはいかなかった。

「東京ではオーディションには落ち続け、貯金は減る一方。地下鉄サリン事件も起き、東京は怖いところだと心細くもなりました。それでも兵庫の友人や両親を思い、絶対負けるものかと。母はお米と手づくりの梅干しをよく送ってくれました。アパートの下のお好み焼き屋さんから上るにおいをおかずに白米を食べたことも今では笑い話です」

――2000年には紀香ブームで一時代を築きました。

「3年間ほとんど眠れない生活でしたが、大変と思ったことは一度もありません。ファン500人と沖縄に行くイベントに、両親を呼んだことがあるんです。ただ父は飛行機が大の苦手。子どもの頃から家族旅行は北海道でも九州でもどこに行くのも車でしたから。それでも人生初の飛行機に挑戦し、ファンの方一人ひとりに頭を下げて回ってくれました。うれしそうな父の顔を今も覚えています」

「いつか父が生まれた旧満州(現中国東北部)に一緒に行きたいです。5歳で母も妹も失い、道ばたの草を食べて必死に生きたたくましさが私の中にもあると思います」

[日本経済新聞夕刊2019年2月5日付]

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