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未完のレース

「五輪楽しかった」 千葉すずさん、顔上げ続けた理由 千葉すず(3)

2019/2/6

千葉すずは引退後、地方の小さなスイミングクラブにも足を伸ばして水泳を教えてきた(2018年12月、大阪府堺市の市立健康福祉プラザ)

競泳自由形で2度の五輪に出場した千葉すず(43)の今を伝える連載。3回目は、引退後にコツコツと続けてきた水泳教室や講演会で、伝えようとしていることに迫る。それは現役時代にメダルの期待を背負わされた千葉が、米国での練習を通じて学んだ姿勢でもある。(前回の記事は「『五輪落選、理由知りたい』 千葉すずさんが開けた扉」

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1996年アトランタ五輪でメダルを獲得できずに終わった後、千葉すずは「オリンピックは楽しかった」「日本人はメダルばかり評価する」と発言しすさまじいバッシングを受けた。

しかし23年が経過した今、トップアスリートたちが五輪や世界選手権といった大舞台で「楽しむ」と口にするたび、「自然体だ」「競技の本質を知っている」と、メディアにも、ファンにも、もはや当たり前のように好意的に捉えられ、称賛さえされる。

発言の趣旨は全く同じだったあの時、メディアや日本のスポーツ界を取り巻く環境が彼女に付いて行けなかったのだろうか。それとも彼女が特別に先端を走っていたのか。今回の取材で、20年も前にリスクと引き換えに問題提起をした若き女子アスリートが、選手は五輪とどう向き合うべきか、そして五輪報道とは何なのか、この複雑なテーマと向き合い、人々に語り続けている姿を知った。

■決勝出られたのに「残念でしたね」

バルセロナ五輪の直前、競技会場となるプールで初練習する千葉(手前から3人目、1992年7月)

メディアへの違和感は1991年、中学3年(近大付属中)、オーストラリア・パースで行われた世界選手権400メートル自由形で銅メダルを獲得した際に抱いたという。世界とは差が開いていた自由形に期待の大型スイマーが誕生し、そのチャーミングな笑顔にも引かれ取材陣が殺到した。通学路にはカメラマンが待機し、プールに入れば、そこでも知らないうちにテレビカメラが回る。

「自分の人生に、全く知らない人たちが突然、土足でずかずかと踏み込んで来る。そんな生活へと一変してしまったようでした」

仙台から中学入学と同時に単身で名門、大阪の「イトマンスイミングスクール」へ留学したため両親とは離れていた。現在のように学校、所属クラブに広報体制が敷かれてはおらず、マネジャーも、マネジメント会社もまれな時代だ。土足で踏み込まれても防御する手段がなかった。

同じ91年、カナダのエドモントンで行われたパンパシフィック選手権で200メートル、400メートル自由形2種目で銅メダルを獲得すると、「いい話がある……」と大人が近寄ってきた。

講演会の中で、当時を振り返ってこんな話を明かした。

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