伝説のジャンプ編集者が見誤った傑作
漫画サバイバル(1)
日本が世界に誇るコンテンツの優等生、マンガが、かつてない逆風にさらされている。長くコミック誌をリードしてきた「週刊少年ジャンプ」の部数はピーク時の4分の1に落ち込み、単行本のメガヒットは数えるほど。代わって台頭してきたのが、海外勢が打ち出すスマートフォン(スマホ)のマンガアプリや、「漫画村」などの海賊版サイトだ。グローバルとデジタルの荒波はマンガにとっても無縁ではない。誰がこのサバイバルを勝ち抜けるのか。全5回で伝える。まずは苦闘するジャンプを支える1本のマンガの誕生秘話から――。
1997年7月22日に始まった1本の新連載がなければ、今年創刊51年目を迎える週刊少年ジャンプの命運は、とうに尽きていたかもしれない。20年以上も少年マンガの最前線を走り続け、全世界で4億部以上を発行。ギネス世界記録にも認定された驚異のマンガ「ワンピース」だ。
紛糾した連載会議
海賊王を夢見る少年が仲間たちと奇想天外な冒険を繰り広げる活劇に、年代や性別、国籍を問わず読者が熱狂し続けている。だが、この作品はジャンプ編集部が自信を持って世に送り出したわけではない。後にメガヒットする作品の多くは、新連載の可否を事前に編集幹部が協議する「連載会議」をスムーズに通過する。ワンピースは違った。
「話の整理がついていないし、腕が伸びるっていう主人公もちょっとかっこよくないなあ」
97年の会議。当時編集長だった白泉社会長の鳥嶋和彦(66)が連載開始に反対の意見を述べると、賛成派がすかさず反論した。
「いまのジャンプにいない熱血でひたむきな主人公。子供たちにもわかりやすく、人気が出るはずです」
会議室に集まった副編集長と、それぞれが3~4人の班を束ねるデスクたちの意見は完全に真っ二つ。普段ならすぐに終わる会議が、2時間以上が過ぎても結論はまったく見通せなかった。
伝説の編集者の迷い
鳥嶋は「伝説のジャンプ編集者」として知られる。月刊PLAYBOY日本版で小説の編集をしたくて集英社に入社後、希望していなかったジャンプ編集部に配属された。
マンガは手に取ったこともなかったが、手塚治虫とちばてつやの名作を教材にして研究。3年目に新人マンガ賞の落選原稿の山から無名の新人、鳥山明を発掘し、500枚のボツ原稿を乗り越えて生まれたギャグマンガ「ドクタースランプ」をヒットさせた。同作に悪役のドクターマシリトとして登場している。
続いて鳥山と組んだ格闘マンガ「ドラゴンボール」は世界規模でメガヒットし、鳥山は少年マンガの第一人者としての地位を確立した。鳥嶋はその後も恋愛マンガ「電影少女」の桂正和を見いだしたり、ゲーム業界の主要人物をつないで国民的ゲーム「ドラゴンクエスト」の誕生に一役買ったりと、マンガ編集者の枠を超えた縦横無尽の活躍を続けていた。
その鳥嶋ですらワンピースについては判断を迷っていた。会議が始まって3時間近く。すっかり日が暮れたころ、デスクが「これをやれなければ作家も編集者も腐る」と悲痛な訴えを上げた。
「ダメなら上司をなぐる」
新連載の企画は作家と担当編集者が二人三脚で練り上げ、デスクの承認を得て初めてこの会議に上がってくる。
ワンピースの作者、尾田栄一郎も当時はあまたいる新人作家の一人にすぎない。担当編集者も同年代の若手で、ワンピースはすでに3回、連載会議で落とされていた。練り直した企画を背水の構えで提案したのが、この日の会議だった。
[日経電子版2019年2月11日付]
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