「売り上げより多い金額を宣伝広告費に使ってきました」と中島会長

--そもそもマヨネーズは、西洋料理の調味料です。どのように日本で製造販売するようになったのか、誕生秘話をお聞かせください。

まず、うちでは「創業者」とは言わず、「創始者」と言うんですよ。というのは、キユーピーの前身は、義祖父中島董一郎の友人が設立した会社。董一郎がそこに委託してマヨネーズを製造することになります。製造は友人の会社であり、うちはマヨネーズを日本で初めて企画販売したという関係です。

董一郎は縁あって水産講習所(現在の東京海洋大学)に入りました。卒業後、農商務省(当時)の海外実業実習生に応募し選ばれ、欧米を訪問します。米国に渡ったとき、そこでマヨネーズ入りのポテトサラダに出合います。おいしくて、栄養たっぷり。当時の日本人の体格は小さくて栄養が不足していました。立派な体格の米国人を見るにつけ、日本人が世界に伍(ご)する丈夫な体を手に入れるのに、マヨネーズが貢献すると確信したそうです。

帰国して1918年、中島商店(1938年中島董商店に改組)を設立し、水産缶詰の仕事を始めます。恩師に「富国政策を掲げる日本が豊かになるためには、水産の仕事がよいのでは」とアドバイスを受けたからのようです。カムチャツカに行くなど精力的に取り組んでいましたが、関東大震災後、かねて気になっていたマヨネーズのビジネスの開始を決意します。ただ、製造する工場がありません。董一郎の友人が1919年に設立した食品工業(1957年にキユーピーに社名変更)に出資する形で、製造してもらうことにしました。1925年のことでした。販売するのは中島商店です。

ここで実にユニークな取り組みがあったんです。董一郎の1年先輩に東洋製缶の創業者の一人がいました。董一郎が長いキャリアの中で、折に触れ指南を仰いだ人でした。その人に新商品のマヨネーズについて相談したところ、広く消費者に受け入れてもらうためにはブランドがとても重要だと諭され、「キユーピーというブランドにしてみては」と推奨されたそうなのです。ところが調べてみると、キユーピーは日魯漁業(現:マルハニチロ)さんが既に持っていた。そこで先輩は「中島商店にブランドを譲ってやってくれないか」と、日魯漁業にかけあってくれたのです。

キユーピーは中島商店のブランドとなり、製造委託したマヨネーズを、中島商店がキユーピーというブランドで販売してきたのです。1972年に製造会社のキユーピーにブランドを譲渡するまで、中島商店がブランドを育ててきました。