オリパラ

未完のレース

「五輪落選、理由知りたい」 千葉すずさんが開けた扉 千葉すず(2)

2019/1/30

日本水泳連盟による代表選考が不透明だとしてスポーツ仲裁裁判所に訴え出た(裁定を受けて2000年8月に開いた記者会見、演台中央が千葉すず・当時24歳)

五輪後のアスリートの歩みをたどる連載「未完のレース」では前週に続き、千葉すず(43)を取り上げる。競泳自由形の第一人者として2回の五輪出場を果たしたが、2000年のシドニー大会前には「選考」の壁に阻まれた。そこで彼女が起こした行動は日本のスポーツ界に大きな足跡を残した。(前回の記事は「貫く信念今も 千葉すずさん、引退20年で築いた場所」

◇   ◇   ◇

隠岐諸島の西ノ島で講演する千葉(18年12月)=隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会提供

00年に引退した千葉すずは、マネジメント会社にも、講演キャスティングを行う代理店にもどこにも属さず、自分で自分のセカンドキャリアを切り開いている。講演会の規模も、条件交渉もスポンサーの有無も二の次でしかない。条件といえるものがあるとすればたったひとつ。自分の心が動くかどうか、それだけだ。

「たくさんの人を呼ぶイベントなら自分が行かなくても構わないと思う。私は、それが講演でも、水泳教室でも、私を本当に必要としてくださる場所、それがどんなに小さくても、遠くでも、そこを見つけて、行きたいんです」

信念を貫く力強さはむしろ現役時代より輝きを増し、それが、キャリアの推進力となっている。美しく、力強いフォームでプールを進んでいった頃と少しも変わらない、43歳の現在(いま)だ。

■五輪出場を夢見て単身大阪に

18年12月も、千葉は、人口2800人、隠岐諸島(島根県)西ノ島の小さな公民館にいた。30人ほどの聴衆は、ユーモラスな関西弁や笑顔にひき付けられ誰もが自然と笑顔を浮かべてしまう。

重い小児ぜんそくの治療に、と親に勧められて始めた水泳で、オリンピックを夢見て、中学1年生で親元を離れて単身、大阪の名門スイミングクラブ「イトマン」に入った。

「中一で、大阪に水泳留学をすることになりました。寮に入ったんですが、先輩後輩の関係は今とは比べものにならないですよね、厳しくって。ホームシックになったんです。えらいところに来ちゃったなぁ、って毎晩布団かぶって泣いて、(水中で使う)ゴーグルも涙でいっぱいになってしまって。もちろん、結局親が迎えに来て帰る子もたくさんいたし、脱走する子だっている。でも私には、そんなつらいことに勝る夢がありました。オリンピックに行きたいというすごく強い夢が……」

会場は静まりかえった。

仙台の親元を離れ、日本中のホープたちが集まる場所で歯を食いしばった少女は、本当にオリンピック出場で夢をかなえたのだろうか。ゴーグルが涙でいっぱいになるほど泣いてかなえた夢は、何を与えてくれたのだろう。

オリパラ 新着記事

ALL CHANNEL