携帯電話の平成史をひもとくこの連載の後編では、いよいよスマートフォン(スマホ)の歴史を振り返る。「佐野正弘のモバイル最前線」を連載している佐野氏が、自ら購入した端末を中心にスマホの礎を築いた端末や、市場の変化を象徴する端末を紹介する。
真のスマホ市場の開拓者「W-ZERO3」
日本におけるスマホの歴史は、iPhoneから始まったものと思っている人が多いことだろう。だがiPhoneの発売の約3年半前となる2004年12月、日本でスマホの市場を切り開いた企業があった。それは当時、KDDIから独立したばかりのPHS事業者であるウィルコム(現在はソフトバンクのワイモバイルブランド)で、同社が投入したシャープ製の「W-ZERO3」こそが、日本でスマホ市場を確立した最初の端末だったのだ。
当時、既に海外ではパソコンと携帯電話の機能を兼ね備えた「smartphone」と呼ばれる端末がいくつか登場していた。だが日本ではiモードなど携帯電話によるインターネットサービスが広く普及していたのに加え、パソコンと同様にアプリが利用できるようになると、意図しない大容量通信が発生する可能性があるとして、携帯電話事業者は導入に消極的だったのだ。
しかしながらウィルコムは、データ定額をいち早く実現し、パソコン向けのデータ通信サービスにも力を入れるなど、大容量通信を売りとしていた。そこで、他社が消極的だったスマホに果敢に挑戦したのである。その結果、W-ZERO3はスマホを待望していたビジネスパーソンらの関心を一点に集め、量販店には予約のために行列ができるほどの人気を獲得したのだ。
初代W-ZERO3は大きなディスプレーとスライドするキーボードを搭載するなど、携帯情報端末(PDA)に近い形状を採用していた。だが後継機ではより多くの人に利用してもらうべく、小型化され携帯電話のサイズに近づいていった。そしてW-ZERO3シリーズはウィルコムが経営破綻する2010年まで5機種が継続的に投入されており、同社を象徴する端末の一つとなったのである。
爆発的なブームをもたらした「iPhone 3G」
W-ZERO3以降も国内ではいくつかのスマホが投入されていたのだが、本格的なスマホ時代の幕開けをもたらしたのは、やはりアップルの「iPhone」シリーズだった。全面がディスプレーでタッチによる操作を取り入れるなど、従来の携帯電話とは全く異なる画期的なインターフェースが注目されたiPhoneだが、通信方式の問題から、日本市場に投入されたのは2代目の「iPhone 3G」からとなる。
初代iPhoneの発表から日本でのiPhone 3G発売まで約1年かかったことから、日本におけるファンの期待は大きく膨らんでいた。その膨らんだ期待が爆発する形で、2008年7月11日の発売日には、独占販売だったソフトバンクモバイル(現在のソフトバンク)のショップや量販店に1000人規模の大行列ができ、ブームになったのである。
だが発売当初のiPhone 3Gは、当時の他の携帯電話に比べて端末価格が高かったし、音楽を入れるためにはパソコンに接続する必要があった。また、文章のコピー・ペーストができないなど、機能的にはかなり粗削りな部分があった。iPhoneに関心を寄せていたファンが端末を一通り手に入れたところで、販売の伸びはぱたりと止まってしまい、ブームは長続きしなかったのである。
iPhoneの販売が再び伸びるきっかけとなったのは、翌2009年にソフトバンクモバイルが実施した「iPhone for everybodyキャンペーン」で、最も安いモデルが実質0円で購入できるようになったこと。端末価格が安くなりiPhoneを購入しやすくなったことが、後に日本を「iPhone大国」にする要因となったのである。