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西川りゅうじん バブル語「アッシー」生んだある会食 編集委員 小林明

2019/1/25

大学時代は水を得た魚のように学業や課外活動に励んだ

「アッシー」「ジモティ」などの命名者で、人気ディスコ「ジュリアナ東京」のPRや六本木ヒルズの企画立案、吉祥寺や柏の地域活性化にも携わってきたマーケティングコンサルタントの西川りゅうじんさん。一橋大学在学中に起業して年商1億円を稼ぎ、創業以来、赤字になった年は一度もないが「バブル崩壊時には苦しい試練も味わった」と振り返る。前回に続き、インタビューの後半を掲載する。

■モノが売れにくかった時代、学業や課外活動に熱中

――1浪後、1980年に一橋大学経済学部に入学しました。

「関西から上京し、教養課程のキャンパスがあった東京・小平市で新生活を開始。親には負担をかけたくなかったので、裸電球がぶら下がるだけの部屋に下宿しました。トイレはくみ取り式の共同で風呂はなし。79年に第2次石油危機に見舞われ、モノが売れにくかった時代。85年のプラザ合意で日本は円高不況に突入します。私が今まで曲がりなりにもやってこれたのは、バブル前の厳しい時期に学生時代を送り、起業したことが幸いしたと思っています」

――大学ではどんな活動をしましたか。

「何をしても自由ですから、水を得た魚のように学業や課外活動に取り組み、先生や学友から学ぶことの楽しさを教えられました。経済学の関恒義先生、国際政治学の野林健先生の各ゼミで幹事長を務め、日本マーケティング学会を創設した田内幸一先生、ハーバード大学ビジネススクールでも教壇に立っていた竹内弘高先生からも直接指導を受けました」

■学内誌・一橋祭……、津田塾大との「バスハイク」も

一橋祭では松任谷由実さんのコンサートなども企画したという(大学時代の西川さん)

「学内誌『一橋マーキュリー』では部長、一橋祭運営委員会では副委員長を務め、作家の椎名誠さんの講演会、一橋祭で松任谷由実さんのコンサートを開催。このほか津田塾大など女子大の学生と一緒に高尾山に行く『1000人バスハイク』も企画しました。森ビルから奨励金をいただき、社会工学のシンポジウムを開催したこともあります。ちなみに『一橋マーキュリー』は作家の杉山隆男さんや田中康夫さん、一橋祭運営委員会は日本製鉄の初代社長に就任する橋本英二さんや日本テレビの敏腕プロデューサーの土屋敏男さんらを輩出したことでも知られています」

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