箱根駅伝の舞台裏 青学フィジカルトレーナーの戦い
選手の「個性」に合わせてきめ細かくサポート
2019年1月の箱根駅伝では熱い名勝負が繰り広げられた。注目された青山学院大学は、5連覇をかけて臨んだものの、惜しくも総合2位に終わった。そこで、2014年から青学駅伝チームのフィジカル強化指導を担当している中野ジェームズ修一さんに、その舞台裏について聞いた。
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フィジカルトレーナーの仕事は、選手のフィジカル面を強化することで、競技力の向上や、けがの予防を図ることにある。中野さんは、元卓球選手の福原愛さんや、バドミントンの藤井瑞希選手を担当したり、テニスの伊達公子さんの復帰をサポートしたほか、2014年からは青学駅伝チームのフィジカル強化を指導している。つまり、箱根駅伝4連覇を成し遂げた青学の陰の立役者でもあるのだ。
「テレビの中継などで、選手にマッサージやストレッチを施しているトレーナーの姿を見たことがあるでしょう。一般の方からすると、トレーナーというとそのようなイメージが強いかもしれません。でも実は、どの選手にも同じように必ずマッサージをしているわけではないのです」
箱根駅伝などの大きな大会の舞台裏では、トレーナー側の実に細かな心配りがあるのだという。
「選手によっては、なるべくギリギリまでマッサージをしてもらいたいという人もいれば、大会2日前になったら一切、体には触らないでほしいという人もいます。トレーナーは、事前に希望を聞いておいて、選手のやりやすいようにサポートするのが鉄則です」
中野さんは、選手のそうした「個性」の違いに毎回驚くという。
「筋肉に刺激を入れて、ある程度張りを持たせてほしいという選手もいれば、逆に筋肉を柔らかくしておいてほしい人もいます。メンタル面でも、直前まで誰かと試合とは関係のない話をしてリラックスしたいという人もいれば、本番数時間前から誰とも話したくない、一人にしてほしいという選手もいるんです」
大舞台で力を発揮できるかどうかは、選手が自分の心身についてどれだけ把握しているかも大きくかかわってくる。一流の選手ほど、トレーナーに対してどのようにサポートしてほしいのか具体的にリクエストできるのだろう。
トレーナーにもある「誰が何区を担当するか」問題
駅伝のようなチームスポーツでは、選手の数が多くなるため、トレーナー側も複数の人がチームを組んで対応する。箱根駅伝の場合、選手の数は補欠登録も含めて16人にも上る。となると、トレーナーも一人で複数の選手を担当することになる。
「選手とトレーナーの間にも相性があります。選手から『当日はこのトレーナーさんに担当してもらいたい』というリクエストをもらうこともあります。それはなるべく叶えたいのですが、駅伝ではある種の難しさがありますね」
例えば、2区と3区のように連続する区間を走る選手を同じトレーナーが担当することはできない。箱根駅伝のような大会では、誰が何区を走るのかがギリギリまで決まらなかったり、当日になって変更になったりする。
どの選手が何区を走るのかは駅伝の監督が頭を悩ませる問題なのだが、どのトレーナーが何区を担当するのかも、同じように悩ましい問題なのだ。
絶対に避けたいチーム内感染
チームスポーツでもう一つトレーナーの重要な仕事となるのが、「衛生管理」だ。集団で活動している以上、誰か一人がインフルエンザにでも感染したら、ほかのメンバーにもまたたく間に広まってしまう恐れがある。それが試合の直前であれば、チームは戦わずして負けてしまう。
「遠征や合宿、あるいは普段の寮生活において、トレーナーは衛生管理にも気をつけなければなりません。そのためにはまず、『トレーナールーム』を用意して、そこでマッサージやストレッチなどを行うようにします。つまり、選手の部屋ではトレーナーは施術しないのです」
トレーナールームでは、スタッフはマスクを着用し、施術台は1回使ったら必ず消毒する。トレーナー自身も、一度選手の体を触ったら、手をアルコール消毒する。タオルの使い回しもしない。選手は、自分のタオルや着替えなどの私物を持ち込んではならないことになっている。
「体をメンテナンスするためのトレーナールームが、『感染源』にならないよう、細心の注意を払っています。例えばノロウイルスに感染した選手がいても、場合によってはひどい症状が出ていなくて、本人は『ちょっとおなかを壊した程度』だと考えていることだってあるんです。だから、選手本人の自覚症状があるなしにかかわらず、施術台やストレッチに使ったマットなどを毎回消毒する必要があります」(中野さん)
もちろん、トレーナー自身も体調管理に気をつける。風邪を引かないように休養もとるし、インフルエンザの予防接種も行う。
「アスリートは体を酷使しています。一見すると健康なように思えますが、トレーニングによって疲労しているので、免疫力が下がることもあります。特に長距離選手は体脂肪率が低く、風邪などに感染しやすい傾向があるのです」。加えて、大きな試合の前になると、選手にはストレスもかかり、さらに免疫力が落ち、ウイルスに感染しやすくなるのだ。
中野さんは、こうした衛生管理のやり方を、現場で工夫したり、海外の事例を調べたりして学んだそうだ。
2019年の箱根駅伝では、往路こそ6位に甘んじた青学だが、復路では圧巻の走りを見せた。こうした真剣勝負の陰にトレーナーによる様々な努力があることを知ると、スポーツの見方がまた変わってくるだろう。
(ライター 松尾直俊)
スポーツモチベーションCLUB100技術責任者、PTI認定プロフェッショナルフィジカルトレーナー。フィジカルを強化することで競技力向上やけが予防、ロコモ・生活習慣病対策などを実現する「フィジカルトレーナー」の第一人者。元卓球選手の福原愛さんなど多くのアスリートから支持を得る。日本では数少ないメンタルとフィジカルの両面を指導できるトレーナーとして活躍。最新刊は『医師に「運動しなさい」と言われたら最初に読む本』(日経BP社)。
[日経Gooday2019年1月16日付記事を再構成]
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