アナウンサー・川田裕美さん 「ええよ」と背中押す父
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はフリーアナウンサーの川田裕美さんだ。
――お父様は元生命保険会社の営業マン。堂々とした風格の偉丈夫だとか。
「定年退職し、今は自宅で悠々自適。見た目はちょっとこわもてですが、家の中ではくだらないこと言って笑わせてくれます。どっしり構えていて、子どものときから勉強しろなどと口うるさく言われたことがありません。絵が上手で、よく4コママンガを描いてとねだっていました」
――ところが、中学生になると反抗し始めます。
「父が単身赴任していた時期もあったため、母と5つ下の妹と過ごす時間が長く、父とのコミュニケーションがほとんどなくなりました。父が会社から帰ってくると戸をばたんとしめて自分の部屋に閉じこもり、できるだけ顔を合わせないようにしました」
「父との関係が元通りになったのは、大学に入るころからです。国立大学を志望していたのですが、成績が少し足りない。そこで、私立も受けたいと父に告げました。『悔いのないように、受けたいところを受けてええよ』と言ってくれました。今まで自分がしていたことを恥ずかしく思い、そこから必死に勉強。おかげで、国立の和歌山大学経済学部に合格できました」
――アナウンサー試験を受けるときの両親の反応はご自身の予想と正反対だった。
「父からは絶対無理と言われるかと思ったのですが、ここでも『やりたいことをやったらええ』と励まされました。ところが、母がまさかの猛反対。テレビで見るアナウンサーは派手で浮き沈みのある仕事と思い、心配だったのでしょう」
「大学3年生の1月に読売テレビから内定をもらい、真っ先に母に電話で報告しました。その日はちょうど母の誕生日。『いい誕生日プレゼントをありがとう』と反対していた母から言われ、うれしくてその場に座り込んで泣いてしまいました」
――フリーになるときも、お父様は理解を示してくれました。
「よく2人で行っていた大阪・新世界のおすし屋さんのカウンターで、さりげなく切り出しました。最初は絶句していましたが、『裕美がそうしたいならそれでええんとちゃう』と言ってくれました。『裕美が楽しそうに仕事ができてたらそれが一番』とも。それで決心がつきました」
――娘の活躍を本当に喜んでいるようですね。
「父は私の出演する番組はほぼすべて見てくれています。グルメ番組で食レポをしたりすると『おいしそうやった』などと感想を聞かせてくれる。ただ、体を張る危険な仕事は『あぶないやんか』と気をもむようです」
「この間2人で飲んだとき旅行に行きたいと言ってました。父は飛行機が大の苦手。4、5泊でクルーズ船の旅なんかいいかもしれません」
[日本経済新聞夕刊2019年1月22日付]
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