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伊藤羊一・ヤフーアカデミア学長

伊藤羊一・ヤフーアカデミア学長

ヤフーアカデミアでのリーダー育成のほか、スタートアップ支援、プレゼンテーション指南の三本柱で活躍する伊藤羊一氏(51)。意外なことに、自身の人生に真に目覚めたと実感したのはつい半年前だという。麻布中学・高校(東京・港)から東京大学、日本興業銀行(興銀)と、華やかに見える経歴からは想像しにくいが、高校からの約10年は鬱屈とした日々を過ごす。しかし、この時期があってこそ、「人は変われる」「フラットな関係」という2つの揺るぎない価値観を築けたと話す。

高1のとき、得意だったテニスから離れた。

麻布中学ではテニス部に入りました。それとは別にテニススクールのジュニアチームや地元のクラブにも入って毎日テニスをしていて、けっこう強かったんです。全国大会にも出ました。ところが学校のテニス部は10分ぐらいしか打てなくて、あとはずっとボール拾いなどであまり面白くない。週に2~3回出なければいけないところ1回しか出なかったんですね。そしたらテニス部をクビになっちゃった。高1のときのことです。自由な学校でしたが、チームとしての規律は守れ、ということでしょうね。さらに間が悪いことに地元のテニスクラブで一緒だった彼女にふられるんです。大ショックで、競技から離れてしまいました。このときから何となく落ちぶれていく。要は不良になっていくわけです。

高校でバンドはやっていましたが、これも中途半端。遊びに行ったり女の子をナンパしたり。その瞬間は楽しいけれど、刹那的ですよね。どこか斜に構えて、真面目に生きることを放棄してしまったという感じです。中高時代は勉強にしろスポーツにしろ遊びにしろ、熱中することが大事なんでしょうが、それすらあきらめてぼーっと生きていました。本当に「無」ですね。

成績も落ちてきて一浪しました。さすがに浪人時代の1年は狂ったように勉強しましたが、このときも人生について深く考えることはありませんでした。東大を受けたのも「周りの友達が受けているから」というだけで、何のためにとかは考えなかった。就職したのもちょうどバブル絶頂期の1989年。斜に構えたままで社会人になれたわけです。

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