出世ナビ

私のリーダー論

会議の資料は数字だけ カプコン創業者のリスク管理術 カプコンの辻本憲三会長兼CEO(上)

2019/1/24

カプコンの辻本憲三会長兼CEO

「ストリートファイター」や「バイオハザード」など、世界で通用するゲームソフトを数多く生み出してきたカプコン。辻本憲三会長兼最高経営責任者(CEO、78)が一代で育て上げた。20代で始めた駄菓子屋をきっかけに娯楽業界に入り、変化の激しいゲーム業界を生き抜いてきた経営手腕に迫る。

■綿菓子の製造機にゲーム事業の原型

――最初の社長業は20代だったそうですね。

「働きながら高校の定時制課程を卒業した後、叔父から菓子の卸売りを任されました。1960年代前半のことです。でも初めての商売ですから当然うまくいきません。夏場の品質管理に失敗したり、スーパーマーケットにお客を取られたり。多額の借金をつくってしまい、3年ほどで店を畳んで大阪で駄菓子屋を始めました」

「人に頼まれ、カネを入れて自分で綿菓子を作る機械を店先に置いたところ、子供たちの長蛇の列ができた。これが今につながる大きな転機となりました。子供たちは綿菓子が欲しいのではなく、綿菓子を作る過程が面白かったんですね。カネを入れて遊ぶ、つまり形のないものを売るという、現在のゲームソフト会社につながる発想を得ました」

「もちろん、その頃はゲーム機なんてありません。当時、娯楽の主役はパチンコ。改造パチンコ機を買い、全国の漁村を回って商店に置かせてもらいました。農家は収穫時期が決まっていますが、漁師は日銭が入るからです。自分でカネを出して失敗しながら、何が売れるのか、どうすれば売り上げを増やせるか、目利きの力を養っていきました。商売は論理的に考えても分からないことが多いですから」

――1983年にカプコンを創業。ヒット作を生み出すためにどんな施策をとってきたのでしょう。

「ちょうど83年に任天堂の『ファミリーコンピュータ』が発売されましたが、当時はまだゲームセンター用のゲーム機が主流でした。ただ、しばらくヒット作が出ない時期があり、デザインや音響の担当者に聞くと、ゲーム機に組み込むメモリーの容量が足りなくて、他社と似たようなゲームしか作れないと言うのです」

出世ナビ 新着記事

ALL CHANNEL