ひらめきブックレビュー

悔いなき人生のために 「死」との正しい向き合い方 『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』

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光の絶えた荒野の真ん中で、幼子がうずくまっている。手を差しのべると、震える涙声が暗闇に響く。「死ぬのが恐いよ……」。あなたは掛けるべき言葉を持っているだろうか――。

本書『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』は、同大で哲学教授を務める著者の講義をまとめた一冊だ。死への恐れや不死、人生の価値などにまつわる様々な問題について、自身の死生観・道徳観に基づき議論を繰り広げている。

■「死」を恐れ「不死」も恐れる人間の不思議

なぜ私たちは死の概念に否定的な印象を抱くのだろう。著者によると、未来で享受するであろう「価値ある時間」、つまり「価値ある人生」を死が奪うためだという。死は本質的には悪いものではないが、生き続けた場合の人生との比較において相対的に悪くなりえるのだ。

価値ある時間が永続することを前提とすると「不死」は望ましい。だが、終わりのない人生を想像すると、幸福はつかの間で、その先には悪夢のような永遠の退屈が待っていることに気付くはずだ。つまり、死は不死の悪夢を終わらせてくれる存在でもあり、死が悪いという印象は一面的であることがわかる。

死に対する「恐れ」の感情についても同様だ。いつ死ぬかわからない状況を思い浮かべると、一見、死への恐怖心は自然な反応に思える。ところが死への否定的感情はすべて、価値ある時間(価値ある人生)が永続することを前提としており、理にかなわないと著者は説明する。

■「恐れ」に代わる正しい感情的反応とは?

そもそも、価値ある人生とはどのようなものなのか。著者は人生の価値を測る際、人生の良い時間をプラス、悪い時間をマイナスと評価し、その合計で判断する手法を採っている。ただし、多くの哲学者の間で支持される、快感と痛みだけの評価は行わない。

ラットの脳に電極を付け、自身で快感を操作可能にする実験がある。最終的に、ラットは死ぬまで快感を貪り続けるそうだ。一方、私たち人間は経験を振り返る能力を持つ。そして経験している最中でさえ、その経験を評価することができる。このため、単純な快感を味わうだけでは満たされなくなるという。すなわち、「経験」こそが人生の価値を測るうえで鍵となる。

人間の営みをかなたから見つめてみる。おそらく死と暗黒に支配された宇宙で、その豊かさと希少性は星々のように際立っている。夕日を眺めること。恋に落ちること。今この瞬間、人間として経験できる幸運――死が有限性を与えるからこそ、その価値は切実なものになる。死に対する正しい向き合い方とは、恐れではなく、生への「感謝」なのである。

自殺や安楽死といったテーマにも切り込んでいる本書。読了した暁には、死という深淵のような問いにも光が差し、幼子に語りかける言葉もきっと見つかることだろう。

今回の評者=尾倉怜
情報工場エディター。建築や空間のデザイン・設計業務に従事する傍ら、書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」のエディターとして執筆活動を行う。慶大卒。

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