U22

池上彰の現代史を歩く

スペイン内戦 「ゲルニカ」が継ぐ戦禍の記憶

2019/1/21

ウリオル・ドメネクさんに、スペイン内戦の体験を聞く池上彰氏(右)(バルセロナ)=テレビ東京提供

およそ80年前、内戦下のスペイン北部の小さな町ゲルニカは無差別爆撃を受け、多くの命が奪われました。祖国の悲劇を知った巨匠パブロ・ピカソは、その怒りと悲しみを「ゲルニカ」に込めたのです。当時の対立は、現代のカタルーニャの独立運動にも深く関わっています。今回の旅はバルセロナとマドリードを訪ね、情熱の国が歩んだ20世紀を振り返ります。

世界有数の観光立国

サグラダ・ファミリアの前で、スペインの現代史について解説する池上彰氏(バルセロナ)=テレビ東京提供

世界有数の観光地やグルメで知られるスペインは、世界でトップクラスの観光立国。年間8000万人を超える観光客が訪れます。

現代史を巡る旅はバルセロナからスタートです。建築家アントニ・ガウディによる世界遺産「サグラダ・ファミリア(聖家族教会)」を訪れました。見上げると、随所に聖書の物語が刻まれ、描かれていることがわかります。読み書きができない当時の人々への布教のメディアを担ってきたのです。

1882年の建設から1世紀を超えても未完成です。その理由は1930年代のスペイン内戦で、設計図が燃えてしまったからだといわれています。

当時、スペインは新しく誕生した共和国政府と旧体制への復活を求める勢力とが対立します。フランシスコ・フランコ将軍が反乱軍を率い、ドイツやイタリアが支援したのです。内戦の死者は30万~40万人とみられます。反乱軍が勝ち、長い独裁政権が続きます。

スペインは歴史的に複数の国々が併合されてできました。バルセロナのあるカタルーニャ地方は、共和国支持者が多く、反乱軍による容赦ない攻撃を受けた激戦地のひとつでした。1000カ所もの防空壕(ごう)を掘る工事には、多くの女性や幼い子どもたちが動員された記録が残っています。

独立運動につながる歴史

ウリオル・ドメネクさん(95歳)の証言です。「15歳のとき、イタリア軍の爆撃で家を失い、多くの人々が亡くなりました。独裁政権時代にはカタルーニャの言葉すら禁じられ、食料などは配給で、苦しい生活でした。フランコは共和国派の人々を徹底的につぶしたかったのでしょう」

2017年、州政府が行った住民投票では90%が独立に賛成しました。ドメネクさんも独立を強く支持していました。住民の独立支持の意識の背景にはスペインの成り立ちや過去の対立がかかわっています。

内戦のさなかの1937年4月26日に大きな事件が起きました。ドイツ軍が人口5000人ほどの町ゲルニカを無差別爆撃します。人々が集まる市場を狙ったとみられ、大勢の大人やこどもが殺されたのです。当時の新聞を見ると、建物は壊滅的な被害を受けていたことがわかります。

スペイン政府からパリ万博への出品依頼があり、作品づくりに取り掛かっていたパブロ・ピカソは、フランスで祖国の惨状を知りました。昼夜を問わず、およそ1カ月で「ゲルニカ」を描いたといわれています。

マドリードにある美術館「ソフィア王妃芸術センター」で、ゲルニカを間近に見ました。世界から360万人が訪れるそうです。モノクロで描かれた「亡くなったわが子を抱える母親の叫び」や「傷ついて倒れた人々の苦しみ」に圧倒され、言葉を失いました。

地元の専門家、マドリードコンプルテンセ大学のドロレス・ヒメネス教授に解説を聞きました。

祖国を案じていたピカソ

パブロ・ピカソ作「ゲルニカ」1937年 Oil on canvas,3.493メートル×7.766メートル.(C)2019-Succession Pablo Picasso-BCF(JAPAN)=テレビ東京提供

槍(やり)が刺さった馬が描かれています。これは何も罪を犯していないのに傷を負った町の人々を表しています。

絵の上部には、ランプにも、太陽のようにも見えるかたちがあります。これは、「神の目」「電球」「爆弾」とも推測できます。人は何かアイデアがひらめいたとき、電球のマークを描くことがあるでしょう。人間のひらめきからつくられた道具は、夜を明るくするけれど、破壊もするという皮肉にも受け取れるのです。

時代が移り、国連本部で奇妙な出来事がありました。2003年2月、ピカソ監修によって織られたタペストリー「ゲルニカ」が青いカバーに覆われてしまったのです。「誰が、何のために隠したのか」

掲げられていた場所は国連大使らが記者の質問を受けるエリアでした。「イラクは大量破壊兵器を隠し持っている」という疑惑から、アメリカがイラクを攻撃しようとしていたときでした。戦争の被害を連想させる「ゲルニカ」の存在を消し去りたかった人物か組織があったのでしょう。

1970年代、スペインに大きな転機が訪れます。75年に終身国家元首フランコが亡くなったのです。民主的な選挙を基に新しい国づくりが始まりました。フアン・カルロス1世国王は「君臨すれども統治せず」を貫き、民主化を支援しました。

ピカソは73年に亡くなるまで祖国の未来を案じていました。当時、「ゲルニカ」はアメリカの美術館に展示されていて、「スペインが民主的な国になったときに返還するように」と言い残したといわれます。やがて81年、本来のふるさとであるスペインへ「ゲルニカ」が帰ることになったのです。

多様性を重んじる人々

いけがみ・あきら 東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)、「池上彰の18歳からの教養講座」(同)、「池上彰の世界はどこに向かうのか」(同)、新著「池上彰の未来を拓く君たちへ」(同)。長野県出身。68歳。

スペインが民族の対立を乗り越えようとしている象徴的な出来事がありました。2007年、「歴史の記憶法」が成立し、内戦や独裁政権時代に弾圧された人々の名誉を回復しようという活動が始まっています。

「歴史記憶回復協会」は11万人余りの身元確認を進めています。協会のボニファシオ・サンチェスさんは「スペインはカンボジアの次に内戦による行方不明者の多い国。活動を続け、家族のもとに遺骨を返したい」といいます。

スペインが多様性や民主主義を重んじる背景には、内戦や独裁政権に対する深い反省があります。政府の新しい閣僚が発表された際、17人のうち11人が女性でした。人々がいまも歴史と向き合い、憎しみを越えて、開かれた国づくりを進めていこうという決意の表れなのでしょう。

〈お知らせ〉

コラム「池上彰の現代史を歩く」はテレビ東京系列で放映中の同名番組との連携企画です。ジャーナリストの池上彰氏が、20世紀以降、世界を揺るがしたニュースの舞台などを訪れ、町の表情や人々の暮らしについて取材したこと、歴史や時代背景に関して講義したことを執筆します。

[日本経済新聞朝刊2019年1月21日付]

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