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それでも親子

女子サッカー選手・鮫島彩さん 母の心配メール励みに

2019/1/18

2006年東京電力マリーゼ入団。11~12年は米国、フランスで活躍。11年女子W杯ではサイドバックで優勝に貢献。12年ロンドン五輪は銀メダル。ベガルタ仙台を経てINAC神戸所属。

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は女子サッカー選手の鮫島彩さんだ。

――小さい頃から活発で、ご両親はいろいろな習い事をさせてくれたそうですね。

「小学校の低学年では、サッカーのほか、ピアノに水泳、書道を習っていました。中学のときは地元のチームでサッカーを続けながら、学校ではテニス部でした。興味があるものは何でも挑戦したかったですし、親もさせてくれました。送り迎えが大変だったと思いますが、サッカーのときは父が車でコンビニに寄ってくれ、プリンなど好きな物を買ってくれたんです。それが『頑張るぞ』っていうモチベーションになりました」

――栃木県の親元を離れて仙台市の常盤木学園高校に進学。卒業後は、なでしこリーグの東京電力マリーゼに入団しました。

「こどもの頃の夢は母と同じ看護師で、サッカーは高校でやりきろうと思っていました。だから、女子サッカー選手になりたいという強い思いはなかったんです。でも、なぜか今でも続いています。高校を決めるとき、そしてマリーゼに誘われたときは随分悩み、両親にも相談しました。『最終的には自分で決めなさい。自分の道は自分で切り開きなさい』というのが我が家の方針で、いつも私の意志を尊重してくれました」

――2008年から日本女子代表のなでしこジャパンに選出されました。海外遠征の時などにはご両親からメールが頻繁に届いたそうですね。

「父は見守ってくれるタイプですが、母はすごく心配性なんです。当時は(イスラム過激派のテロなど)いろんな事件があったので、『本当に行くの? 日本でいいんじゃない』みたいなメールをたくさん送ってくれました。それを見ると、自分以外の人がこんなに心配してくれているんだと気づくことができ、かえって不安な気持ちも吹き飛びました。なにより、励みにもなりました」

「ただ、あまり心配するので11年に米国のチームに移籍した時も、その後にフランスのチームに移った時も事後報告でした。そのときは『エー』って驚いてましたが、もう決めちゃった後でしたので……。それでも『成功しなかったときは、いつでも家に帰っていいんだよ』と言ってくれていたので、安心できました。でも、私は負けず嫌いなので逆にやってやるぞ、という気持ちにもなりました」

――いつも心に留めている言葉があるとか。

「小さい頃に母と一緒にお風呂に入ったとき、桶(おけ)を見ながら言われたことがあるんです。『桶の中の水は手で押すと返ってくる。人と人とのつながりは、これと一緒だよ。いいことをしてあげたら、それが自分に返ってくるし、悪いことをすれば、それが跳ね返ってくる』。その言葉がいまでも強烈に心に残っていて、人と接するときの指針となっています」

[日本経済新聞夕刊2019年1月15日付]

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