森見登美彦の『熱帯』 「小説とは何か」に挑んだ怪作

黒髪の乙女に恋する先輩が不思議な出来事に巻き込まれていくミリオンセラー『夜は短し歩けよ乙女』など、京都の街や学生をファンタジー的な要素を交えて描く名手として、人気作家となった森見登美彦。最新作『熱帯』もまた、京都の街が謎めく世界への導き手となる長編小説だ。

「この本を最後まで読んだ人間はいない」という奇書『熱帯』。核心に迫ろうとする者が京都の街をめぐる一方で、無人島に流れ着いた男の奇妙な冒険が語られ始める。

「“謎の本”についての小説を書こうと思い始めたのは、2009年でした。10年からウェブで連載を始めたのですが、翌年の11年に持っていた連載をすべて一度停止したんです。締め切りを多く抱えすぎて、小説が書きにくくなって……」「この作品を書き直して単行本にしようという話が進んだのが、16年でした。大幅に書き直して、後半を新たに書き足したら、これまでにないボリュームの作品になってしまいました」

総ページ数500超の『熱帯』。作家・森見登美彦が妻と暮らす奈良のマンションの一室から始まり、東京での読書会、京都の街をめぐりながらの謎解き、現実離れした不思議な島での冒険へと話は転がっていく。「どんどん扉が開いて、中へ中へと入っていく小説です。普通の小説は、扉をひとつ開いて作品世界を楽しんだら現実に帰ってきます。ところがこの作品は、読書の話かと思って読んでいくと、いつの間にかとんでもないところへ飛んでいってしまいます」

現実と幻想を行ったり来たりする手法は森見の得意技。だが自ら“怪作”と称する『熱帯』では、幻想部分がこれまで以上に思い切って描かれている。海賊や魔王、魔女など過去の作品で見かけなかった空想的なキャラクターも登場し……。

『熱帯』 スランプに陥っていた作家・森見登美彦は、『千一夜物語』を読み、学生時代に出合った謎の本『熱帯』を思い出す。強く心引かれて読んでいたのに、最後まで読み通せなかったあの本は…。『熱帯』の謎をめぐり、物語は奈良から東京、京都、そして謎の島へと広がっていく(文芸春秋/1700円・税別)

「古風な冒険譚(たん)を意識して入れた部分はあります。小説が書きにくくなった時期に『自分にとって小説は何だろう』『本を読むって何だろう』と考えたんです」「スランプの間は現代の本を手に取れなくて、『千一夜物語』を読んでいたんです。そうしたら、現代の小説とは違う独特の不思議さが自分の書く小説の不思議さと結びついたら面白いな、と思えるようになりました」

古典が、森見に躍動力を与えた。「“小説についての小説”には、いろいろな人が挑戦しています。でも、どうしても自分で1回やってみないと気が済まなかったんです」

書き終えた今も“小説とは何か”の答えが見えたわけではない。だが、小説と正面から向き合い、その思いを込めた一作を書き上げたことで、何かが吹っ切れた。「今後は、どちらかといえばもうちょっとでたらめに書いていきたい。身の丈に合った、ほどよいサイズの小説を小刻みに出していける、もう少しコンパクトな小説家になりたいです」

(「日経エンタテインメント!」1月号の記事を再構成 文/土田みき 写真/鈴木芳果)

[日経MJ2019年1月11日付]

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