起業の夢を語る桃太郎、仲間はつづいた MTG社長
MTG社長 松下剛氏(下)
MTGの松下剛社長
「ブランド開発カンパニー」を標榜する美容・健康機器のMTG。トレーニング関連機器「シックスパッド」などで世界的な著名人と契約するなど華々しいイメージがあるが、松下剛社長はその裏で一流のものづくり企業になるために地道な努力を重ねてきた。リコールという試練も乗り越えてきた組織づくりの手法とは。(前回の記事は「小学生でウサギ売り MTG社長の原点は親への恩返し」)
最初に入社したデンソーでも起業の構想を膨らませ
1989年、長崎県五島列島の高校を卒業後、松下氏は念願の愛知県に渡る。日本電装(現デンソー)に入社し、電子部品の工場に配属となった。小学生から起業したいと夢見て、その準備として大企業で修行するつもりで入社した松下氏は職場でもやはり変わり者だった。
「技術自体に興味はなかったですね。それよりも工場で出てくる部品を見ては『これはいくらの原価で、どこに使われていて、いくらぐらいで売れるものですか』という質問ばかりしていたので、迷惑がられていました(笑)。なんでみんな気にならないんだろうと逆に不思議でしたね」
男性社員寮で生活していたが、同世代の同僚は皆、車の雑誌などを見て「どんな車を買おうか」という話題に花を咲かせていたのに対し、松下氏が読んでいたのは現金問屋の本。「どんな会社をやろうか、何をすればいいか」と起業に向けて常に構想を膨らませていた。
フランチャイズチェーン(FC)のセミナーに参加したこともある。当時19歳。受付で身分証明書を出すと「未成年じゃないですか」と追い返されそうになった。しかし松下氏も「未成年はだめってチラシに書いてないじゃないですか!」と食い下がり、なんとか後ろの方で参加することになった。「あの会場で誰よりも熱心にメモをとっていたと思います」
「小さい頃はガキ大将だった」という松下氏はデンソーの同僚からも慕われていた。よく20~30人ぐらいに声を掛けては、頻繁に飲み会を開いていた。当時毎週のように誘われていた長友孝二氏(現MTG取締役)はこう振り返る。「酒の席では決まって『祝い酒を飲むぞ』と、同席しているメンバーの祝える事を見つけては、酒のさかなにし、そこから『俺は社長になる』という夢をメンバーに宣言するのがお決まりの流れでした」