貫く信念今も 千葉すずさん、引退20年で築いた場所千葉すず(1)

大阪府堺市の水泳教室で参加者に指導する千葉すずさん(2018年12月、堺市立健康福祉プラザ)
大阪府堺市の水泳教室で参加者に指導する千葉すずさん(2018年12月、堺市立健康福祉プラザ)

アスリートが全力で戦い、泣き、歓喜する五輪の舞台も、彼らの長い人生ではほんの一瞬に過ぎない。そこで何をつかみ、次の道をどう切り開いてきたのか。NIKKEISTYLEオリパラでは、「未完のレース」と題してアスリートの引退後をたどる。初回は1992年のバルセロナ大会と96年のアトランタ大会に競泳で出場した千葉すず(43)。2000年のシドニー大会の前には、日本水泳連盟による代表選考のプロセスが不透明だとして、日本選手として初めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴え出た。引退とともに報道される機会がなくなって20年。信念を貫いてたくましく歩み続ける姿を、スポーツライターの増島みどりが描く。

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千葉すずが会場に足を踏み入れると、一瞬で室内の空気が変わった。

「あれぇ、オッチャンばっかりやね」

海風を受ける中央公民館に集まっていた30人ほどの参加者を見渡し、若者や女性より男性が多いとみるや、そう声をかける。率直な物言いとユーモラスな関西弁、何よりもその笑顔に、オリンピックスイマーを迎え、少し緊張していた参加者たちから笑い声と拍手が沸き、会場は柔らかな空気に包まれた。

2018年12月、島根県・七類港からフェリーで2時間半、隠岐諸島の西ノ島で「隠岐ユネスコ世界ジオパーク再認定記念シンポジウム」が開催され、千葉はゲストとして「水を通しての出会い」と題した基調講演を行っていた。2000年の引退後、島根県浜田市三隅町のスポーツ施設「アクアみすみ」の記念式典に出席したほか、水泳教室を開催するなど、島根との交流は長く、深く続いてきたという。

講演会は大手代理店が主催するような大規模で有料のものではなく、30人ほどを相手にする。ひな壇もスポンサーもなければ、条件交渉もメディアへの告知もしない。

しかしそこが、引退して以来、自ら望み、自分の力で築いてきた特別な場所なのだ。

人数限られた講演会も全力で

和やかな会場でこう続けた。

「日本人でありながら、そして日本代表をしていながら、日本について本当に全然知らなかったんだと、現役を引退し改めて思っています。日本が嫌だ、と、海外に出て行った人間が、実は何も日本を知らず、説明もできなかった。そう考えていたタイミングでご縁を頂き、こうして素晴らしい西ノ島に来るチャンスをもらいました」