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フランスで気づいた日本料理の真髄 菊の井村田吉弘氏

菊の井代表取締役 村田吉弘氏(上)

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NIKKEI STYLE

京都に本店のある料亭「菊乃井」の三代目村田吉弘(むらたよしひろ)氏は、料理人であり経営者であるだけではなく、日本料理界を率いる中心人物の一人だ。「和食」のユネスコ無形文化財登録を成功させた功労者としても、世界の料理界から注目をあびている。村田氏にこれまでの歩みと日本料理を世界に向けて発信する活動について語っていただいた。活動の原点には、海外遊学中に日本料理の真価と可能性を認識した経験が強く影響していた。

――菊乃井本店はミシュランガイドの三つ星の常連です。

おかげさまで10年連続になりました。ミシュランガイドは同じ国で同名の複数店に三つ星をつけないルールなんで、赤坂(東京)、露庵(京都市下京区木屋町)は二つ星です。献立も料理内容も同じやのにね。

――料亭の長男に生まれながら、大学在学中にフランスに料理修業に行きました。どうしてフランスだったんですか。

菊乃井の跡取りになるんがうっとうしかって、逃げよと思たんです(笑)。子供の頃、誕生日に連れて行ってもろてたレストランの料理がおいしかったし、お袋が結婚前にフランス料理を習ってて、ベシャメルソースやドミグラスソースを作って、クリームチャウダー、ガランディーヌ、コキール、グラタンやらを家で食べさせてくれてた。僕も小学生のときから妹や弟に洋食を作ってて、「お兄ちゃんの料理が一番おいしい」と言われてたから、フランス料理のコックになろうと短絡的に思ったんです。

――二代目であるお父様は反対しなかったですか。

親父は「お前みたいなもんはあてにしないから、フランスに行って就職先を探して来い」と言いました。私は道楽息子でしたから(笑)、外に出て頭を打ってきたほうがいいと思ったかもわかりませんね。フランスでは安ホテルに滞在して、日本人留学生や外国人学生と友達になって、ええレストランを教えてもうて、就職活動らしいことをしました。

ある店の厨房を見学させてもらうと、料理人がカモをさばいて流れ出る血をフランスパンにつけて食べて、ワインを飲みながら仕事している。丸ごと一頭のシカや野ウサギの皮をはいでいる。ものすごう臭いんです。気持ち悪なって、僕にはフランス料理は難しいなと思いました。

本当の転機になったのは、フランス人の学生に「日本料理でそばとすしを食べたけど、炭水化物ばかりで日本人はよく栄養失調ならないな」と言われたことです。僕は、「日本料理には会席という、フランス料理とクオリティーが変わらんコース料理があって、うちの親父やじいさんはそれを作って来たんや」と必死に説明した。逃げ出したはずの日本料理を擁護している自分に気づきました。

数日後、公園の隣のベンチでお母さんが幼児に離乳食をあげているのを見た。白いものをぐちゃぐちゃにして食べさせているから、豆腐だと思って聞いたら、子羊の脳みその塩ゆででした。こういう離乳食で育った人らと一緒にフランス料理の修業しても、一番にはなれへん。一生かけてやる仕事で、彼らのケツを見て歩くのはいややと思って、日本に帰ることにしました。

――フランスで学んだことは何でしたか。

ヨーロッパの人たちは、料理を食べるときに香りから入ることがわかったんです。彼らの嗅覚は僕らよりずっと発達してる。日本人は味から入ります。日本料理は一つの素材に一つの香りを使うのが基本ですが、彼らは複合で使います。これにヒントを得て、今の菊乃井の料理は、香りを複合で使ってます。ショウガとユズを組み合わせたりしてね。それに、彼らは頭で理解せんと食べへん。料理のストーリー、バックボーンがわかって、香りをかいで、それでおいしいなと感じるんです。

人材育成法も取り入れてます。日本料理は、「修業に入って1年間は『すいません』だけで暮らせ」と言われる。質問すると、「10年早い。仕事は見て覚えるのや。俺は雪の日に、石のタタキを素足でデッキブラシでこすらされた。それが修業や」なんて言われる。そんなん修業でも何でもない。ナンセンスです。

日本料理の修業をしていると、「何で毎日、鍋を1時間もかけて顔が映るぐらいにピカピカに磨かないかんのや」と思う。理由がわからない。煮方の人が、「磨いた鍋にダシを入れて、調味料を入れたら、ダシの色で大体の味がわかるんや。君が鍋をきれいに磨いたら、僕は料理が非常にしやすくなる」と言うてくれはったら、「よし、一生懸命磨こう」と思うじゃないですか。理由がわからないことを永遠にするほど辛いことはない。日本料理の育て方では人材は育ちません。

フランス人シェフは「考えろ、考えろ」と言います。質問すると、「君はどう思うんだ。何でこの作業をすると思うんだ」とシェフから聞かれる。日本人みたいに「先輩の言うことを聞け」なんて言ってもフランス人は従わない。議論して論破されて、この人は自分の師匠だと思わんかぎり言うことは聞かないですよ。

――帰国後は名古屋の料亭で修業をされたんですね。

「日本料理をやります」と言ったら親父が激怒して、「男子が志を定めて出て行って、半年で前言をひるがして帰って来るとは何事や。今度はわしの言うことを聞け」と言われて、名古屋の「か茂免(かもめ)」という老舗料亭に修業に行きました。

3年働いて「厨房の仕事は全部できるわ」と思いました。でも、ほんまはできてへんのでっせ。温度管理されてるフライヤーで天ぷらを揚げて、炭の上で焼き物を焼いているだけ。それを「天ぷらが揚げられる。焼き物が焼ける」と勘違いしてたんです。

菊乃井に戻った後、僕はいきなり専務。鍋を洗ろてると、料理長に「息子はんはそんなことせんでもよろしい」と言われて、魚をおろすようなええ仕事が来るんです。店の人たちはというと、僕が入って行ったら、しゃべってた話がとまる。「このままだと店の雰囲気が悪くなる」と思うて、一人で店をやろうと、親父に300万円借りて下京区の木屋町に7坪6席の割烹(かっぽう)の店を出しました。本店に帰って1年後です。

――当初は経営は順調ではなかったと聞いています。

全然駄目でした。ガス台2つ、焼き台は小さい。名古屋の料亭で使ってた器具と違うから何もできへん。料理の理屈がわかってへんからね。直径20数センチのフライパンで天ぷらを揚げるのに、フライヤーと同じように揚げるからカラッと揚がらない。アユを焼いてもべたっとする。そこで、調理の論理を勉強しないといかんと思うて、当時、出版されていた料理書はすべて読みました。お客さん来いひんからカウンターに座って読むんです。

その頃、夜になると店の周りには、いわゆる"街の女"の人がいっぱい出ていて、その人らが夜12時過ぎると店に来て500円のサケ茶漬けを食べはる。店の中、全員が"街の女"の人。深夜までお客さんゼロで、この人らに茶漬けを作るために店を開けてるんやなと思たら情けなくなりました。

――しかし、3年後には予約が取れないと言われる店になりました

京料理「たん熊」の先代がうちの親父と友達で、毎週来てくれてたんです。ある日、「木の芽あえ」を出して「それ甘くないですか」と聞いたら、「甘いと思うたら甘くないものを作らんかい」と言わはった。それは親父のレシピなんで、「菊乃井の味を守るには親父と同じように作らなあかん、と思うてるんです」と答えたら、「お前はアホやな」と。

「お前がうまいと思わんものを客に出しても、精いっぱいやったという気にならんやろ。自分がほんまにうまいと思い、これ以上できひん料理を出して、それでもお客さんが来いひんのやったら店がつぶれてもしょうがない。思うようにやったらええ」と言われました。

それで、僕の思うようにやりだしてからお客さんが来るようになったんです。日本料理で低温調理をやったんは僕が最初です。フランス語の原文の本を友人に訳してもうて、ラッピング調理法、真空調理、低温調理をやったらこれがおもろい。食材と調味料を入れた袋を真空密閉して低温で加熱するんです。カモロースを低温調理すると、身がロゼに仕上がって、軟らかくてとてもおいしくなる。

お客さんに出すと、当時の日本人はピンク色のカモ肉なんか食べたことがないんで、「大丈夫か?」と恐る恐る食べて、「おいしいなあ」と喜んだ。親父は「けったいな料理ばかり作って」と言うとったけどね。

リンゴをあえ物に混ぜたり、フロマージュブランを白あえに使ったり、タイのアラを赤ワインで炊いたり、好き放題やってました。レストラン「タテル ヨシノ」のオーナーシェフになった吉野建が、フランスに修業に行く前に研修に来ましたよ。

――フランスでの経験がここで花開き、先進的な料理が生まれたんですね。その後、東京に出店された。

東京で失敗できひんから、まず物販からと考えて、デパートに総菜とお弁当の店を出したんです。ほかのデパートにも総菜店を出し、1日限定100個の稲荷ずしがあっと言う間に売り切れて「幻の稲荷寿司」とか言われ、知名度が上がったところで2004年に「赤坂 菊乃井」をオープンしました。

京都の料亭は、一般の人がハレの日に家族で行く店です。そういう料亭を東京にも作りたかったから、普通に働いている人が、「今日は誕生日やから家族でおいしいもん食べよ」と来てもらえる値段設定です。

東京出店前から食に関するプロデュースの仕事を受けるようになってて、アークヒルズの回転ずし店や、シンガポールエアラインの機内食をプロデュースしました。機内で出す会席料理が話題になって、ほかの航空会社でも和食が出るようになったんです。こうして徐々に、仕事の内容やら方向性が広がっていきました。

――次回は、日本料理アカデミーの設立、「和食」のユネスコ無形文化遺産登録など、日本料理を世界に発信するための活動に関してお聞きします。

村田吉弘
1951年、京都・祇園の料亭「菊乃井」二代目の長男として生まれる。立命館大学在学中、フランス料理修業のために渡仏。大学卒業後、名古屋の料亭で修業し、76年に実家に戻り、「菊乃井木屋町店」開店。斬新な料理で予約の取れない店と呼ばれる。93年菊の井代表取締役に就任。04年日本料理アカデミーを設立し理事長を務め、07年にNPO法人化。13年の和食のユネスコ無形文化遺産登録に尽力。18年黄綬褒章受章し、文化功労者に選出される。

(フリーライター 芦部洋子)

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