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フランスで気づいた日本料理の真髄 菊の井村田吉弘氏菊の井代表取締役 村田吉弘氏(上)

「フランスで学んだことは日本料理の新たな発見があった」と村田さん

――フランスで学んだことは何でしたか。

ヨーロッパの人たちは、料理を食べるときに香りから入ることがわかったんです。彼らの嗅覚は僕らよりずっと発達してる。日本人は味から入ります。日本料理は一つの素材に一つの香りを使うのが基本ですが、彼らは複合で使います。これにヒントを得て、今の菊乃井の料理は、香りを複合で使ってます。ショウガとユズを組み合わせたりしてね。それに、彼らは頭で理解せんと食べへん。料理のストーリー、バックボーンがわかって、香りをかいで、それでおいしいなと感じるんです。

人材育成法も取り入れてます。日本料理は、「修業に入って1年間は『すいません』だけで暮らせ」と言われる。質問すると、「10年早い。仕事は見て覚えるのや。俺は雪の日に、石のタタキを素足でデッキブラシでこすらされた。それが修業や」なんて言われる。そんなん修業でも何でもない。ナンセンスです。

日本料理の修業をしていると、「何で毎日、鍋を1時間もかけて顔が映るぐらいにピカピカに磨かないかんのや」と思う。理由がわからない。煮方の人が、「磨いた鍋にダシを入れて、調味料を入れたら、ダシの色で大体の味がわかるんや。君が鍋をきれいに磨いたら、僕は料理が非常にしやすくなる」と言うてくれはったら、「よし、一生懸命磨こう」と思うじゃないですか。理由がわからないことを永遠にするほど辛いことはない。日本料理の育て方では人材は育ちません。

フランス人シェフは「考えろ、考えろ」と言います。質問すると、「君はどう思うんだ。何でこの作業をすると思うんだ」とシェフから聞かれる。日本人みたいに「先輩の言うことを聞け」なんて言ってもフランス人は従わない。議論して論破されて、この人は自分の師匠だと思わんかぎり言うことは聞かないですよ。

――帰国後は名古屋の料亭で修業をされたんですね。

「日本料理をやります」と言ったら親父が激怒して、「男子が志を定めて出て行って、半年で前言をひるがして帰って来るとは何事や。今度はわしの言うことを聞け」と言われて、名古屋の「か茂免(かもめ)」という老舗料亭に修業に行きました。

3年働いて「厨房の仕事は全部できるわ」と思いました。でも、ほんまはできてへんのでっせ。温度管理されてるフライヤーで天ぷらを揚げて、炭の上で焼き物を焼いているだけ。それを「天ぷらが揚げられる。焼き物が焼ける」と勘違いしてたんです。

菊乃井に戻った後、僕はいきなり専務。鍋を洗ろてると、料理長に「息子はんはそんなことせんでもよろしい」と言われて、魚をおろすようなええ仕事が来るんです。店の人たちはというと、僕が入って行ったら、しゃべってた話がとまる。「このままだと店の雰囲気が悪くなる」と思うて、一人で店をやろうと、親父に300万円借りて下京区の木屋町に7坪6席の割烹(かっぽう)の店を出しました。本店に帰って1年後です。

――当初は経営は順調ではなかったと聞いています。

全然駄目でした。ガス台2つ、焼き台は小さい。名古屋の料亭で使ってた器具と違うから何もできへん。料理の理屈がわかってへんからね。直径20数センチのフライパンで天ぷらを揚げるのに、フライヤーと同じように揚げるからカラッと揚がらない。アユを焼いてもべたっとする。そこで、調理の論理を勉強しないといかんと思うて、当時、出版されていた料理書はすべて読みました。お客さん来いひんからカウンターに座って読むんです。

その頃、夜になると店の周りには、いわゆる“街の女”の人がいっぱい出ていて、その人らが夜12時過ぎると店に来て500円のサケ茶漬けを食べはる。店の中、全員が“街の女”の人。深夜までお客さんゼロで、この人らに茶漬けを作るために店を開けてるんやなと思たら情けなくなりました。

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