スマホでプロの技を学べる(画面に映っているのは講師を務める三国清三シェフ)ラグビーW杯、五輪、万博――。訪日客は2020年に4000万人突破をにらむ。「和食」がユネスコの無形文化遺産にも登録され、食を楽しみにする訪日外国人も多いが、彼らをもてなすはずの料理人が危機に立つ。人材難だ。フレンチの巨匠、三国清三シェフはオンラインで講座を始めて、プロの技を公開する。料理界をもり立てようとする技術やサービスが次々と登場する。
前回の五輪で選手村料理長を務めた故村上信夫氏(写真右、帝国ホテルで後進を指導する様子)真ん中にフォアグラのテリーヌ。両サイドにコーンをピューレにして、あと粒々を入れて……。
三国氏が18年6月に始めたMOOC(大規模公開オンライン講座)の一場面。東京・四谷の店舗「オテル・ドゥ・ミクニ」の最新メニューの調理法を余すことなく伝える。NTTドコモ系のプラットフォームで配信。プロの料理人の学習を狙っており、1つのコースにつき3000円で巨匠の技を学べる。
記者は動画づくりの現場を特別に見せてもらった。1つのコースに前菜、魚料理、肉料理など4本のコンテンツがある。店がオープンするまでの2時間弱で、手際よく料理していく。カメラ撮影、ナレーション収録、編集などすべてを「オテル・ドゥ・ミクニ」のスタッフが担当し、手づくり感がある。逆にそれが、巨匠の手さばきや息づかいを感じさせる。
■1964年は手書きレシピを配布
「ラグビーW杯、五輪・パラリンピックがある。日本中から料理人を集めないといけない」。三国氏は数年前から思案していた。思い出すのは恩師の故村上信夫氏。帝国ホテルの11代料理長で、64年の東京五輪で選手村の料理長も務めた。
当時、見習いの三国氏は「かばん持ち」としていろんなエピソードを聞いた。選手村では料理人が足りず、地方から300~400人のコックが集められたという。一流の味で、世界中から日本に来る選手をもてなせるのは、帝国ホテルなど限られた人材しかいない。急きょ、手書きのレシピ集を作り、配ったといわれている。
三国氏は実はラグビーW杯、オリンピック・パラリンピックの組織委員会の顧問を務める。20年の東京五輪では1000~1500人規模の料理人が追加で必要になると、三国氏はみている。前回の五輪とは選手団、観戦者も桁違いになり、集めなければならない料理人も大幅に増える。
三国氏は料理している姿をカメラで撮ってネットで公開している「今の時代にあった発信の仕方があるはず」。師匠の手書きのレシピに代わる手段を探していたときに出会ったのが、教育プログラム開発のリアルディア(東京・港)を運営する前刀禎明氏。現在は教育関連事業を手がけるスタートアップを率いるが、アップル日本法人の元代表取締役でIT(情報技術)分野にも明るい。
「ライトなコンテンツになっている。まずは新しい学び方を浸透させる」(前刀氏)。今回のプロジェクトにあたって、トライアルを実施。最初は料理人が作った一品をアップロードし、三国さんに見てもらう、専用アプリを用意するなどのいくつかの案があった。試すうちに料理界とITが縁遠いことが分かった。
1年がかりで準備した末、MOOCでの1本5~10分というシンプルなカリキュラムが最適という結論に達した。
今後はフレンチにとどまらず、和食、中華などでプロの料理人に参加してもらう考えだ。「五輪をきっかけに残すものは残す。伝えるものは伝える。そういう使命感がある」(三国氏)
前回の五輪では村上氏のもとで学んだコックたちが地方に戻り、高度経済成長期の日本の料理界を支えた。「そもそもフランス料理というのはオープン。五輪をきっかけに世界にどんどん発信すればいい」。三国氏は胸中を明かす。オンライン講座を多言語化するアイデアもすでにある。
日本の料理界は今、苦境に立たされている。平成の歴史の中で「1億総グルメ」と言われた時代もあったが、リーマン・ショックで痛手を被った。地方の有名レストラン、老舗店などで料理人が解雇されて、技能や味の伝承が途切れているという。調理師免許を取る人や調理系の専門学校に入学する若者も年々減っており、文化遺産である日本の食を支える人材が消えようとしてる。
■たこ焼き作りも人手足りず
人材難は一流に限った話ではない。
テーマパーク「ハウステンボス」のフードコート。アーム型のロボットが器用にたこ焼きをひっくり返す。コネクテッドロボティクス(東京都小金井市、沢登哲也社長)のたこ焼き調理ロボットシステム「OctoChef(オクトシェフ)」だ。たこ焼き器への油引きから生地入れ、たこ焼きの返し、焼き加減の調整、盛りつけなどの作業を自動化した。ロボットのアームがたこ焼きをつまんで返す作業を繰り返し、人が焼くのに近い味にしている。
同社はソフトクリームをコーンに入れて提供するロボットもハウステンボスに納入。店員はロボットをタブレットで操作し、レジや接客に集中できる。このシステムを使えば、店舗を運営する人数を2~3人から1人に減らすことができるという。
民泊施設などで朝食を用意する「朝食ロボット」やコンビニエンスストア向けの「接客ロボット」、外食産業向けの「食洗機ロボット」なども開発中。佐藤泰樹・最高執行責任者(COO)は「労働力の不足をロボットの力で補い、温かい食べ物を提供したい」と話す。将来的には海外でも展開し、「和食」をロボットを通じてグローバルに広める目標を抱える。ロボットがコーヒーをいれるカフェが登場するなど、飲食業界で人手不足を乗り越える取り組みが広がっている。
18年の訪日客はついに3000万人を突破した。日本の食はインバウンド経済の重要なコンテンツ。この魅力的なコンテンツを多くの訪日客に楽しんでもらうために、人手不足対策は喫緊の課題となる。日本らしい「おもてなし」の質を保つにはテクノロジーの活用が欠かせない。
(森園泰寛、佐藤史佳、西嶋竜二)
[日経産業新聞2018年12月20日付を再構成]
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