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あの人が語る 思い出の味

ごはんができたよ 名曲は鶏鍋から 矢野顕子さん 食の履歴書

2018/12/28

1955年東京都生まれ。幼少期を青森市で過ごす。76年ソロデビュー。代表曲に「春咲小紅」「ひとつだけ」など。今年11月、前川清さんや平井堅さんらとのコラボレーションによるCDアルバム「ふたりぼっちで行こう」を発表。尾城徹雄撮影

「ごはんができたよ」「ラーメンたべたい」「クリームシチュー」……。聴けば温かい湯気に包まれるような食事の風景を歌ってきた。心のこもった食べ物は、時に言葉よりも確かに気持ちを伝えてくれる。その原点となった10代の頃の思い出がある。

■ブナシメジやエノキ、惜しげもなく

ご飯を炊いたことがなかった。3歳でピアノを始め、母からは「音楽だけやってなさい」と言われて育った。中学卒業後、プロのピアニストを志して青森から単身上京。料理は教わったことがないから、炊飯器にコメを入れてスイッチを押せば炊けるものと思っていた。「後から、水も入れるの? って」。タラの子をほぐしてつくる母の煮物が恋しかった。

進学したのは軽音楽部がある青山学院高等部。初めての冬休み、帰省せず東京に残った。状況を察して自宅に招待してくれた同級生がいた。彼女のお母さんが用意してくれたのは鶏の鍋物。「まだ当時はあまり流通してなかったブナシメジやエノキが、惜しげもなくお皿に盛られていて。キノコが大好きだからうれしかった」

親元を離れて過ごす境遇を思い、日ごろはおとなしい級友がそっと示してくれた温かさ、優しさ。「一人でいるのはかわいそうだと思って、あったかくておいしい物を食べさせてくれて」。食べ物はその人の気持ちや考え方、バックグラウンドの全部に結びつくのだ、と心に刻まれた。

このときの記憶が生んだ名曲が「ごはんができたよ」(1980年)だ。遊び疲れた夕方、母の呼び声――。明るい曲調なのに、ふいに「ごはんができたよって/かあさんの声がなつかしい」「淋(さび)しかったんだきょうも」と切ない心情がのぞく。

■真夜中に「ラーメンたべたい」

結局、学校は中退した。高校生ながらバーやクラブの舞台に立ち始め、仕事が忙しくなったからだ。70年代初め。演奏のため訪れた米軍基地のクラブでは、大きな七面鳥やハンバーガーとも出合った。

この頃の夕食はもっぱら、店のまかない飯。覚えているのは中華丼だ。残り物の野菜や肉が入り、具だくさんでおいしい。「料理は技術と気持ち。食事は分け与える心ともてなす心が大切」と悟った。食べつつ聞く従業員らの話も勉強になった。「人の金で酒を飲むような男とは結婚するな、とかホステスさんが教えてくれる。音楽のことしか知らない十五、六の子どもだったから、学校にいたら学べないようなことも学べた」

レコードデビュー後は天才の名をほしいままにし、81年には「春咲小紅」がヒット。私生活では一男一女の母となった。曲づくりに専念できるのは幼い子どもたちが寝た後の時間だけ。ある真夜中のことだ。「あー、ラーメン食べたい」。思わずため息交じりの言葉が漏れた。「思うに、ラーメンが食べたいときはラーメンじゃなきゃだめ。うどんじゃだめなんです」。人気曲「ラーメンたべたい」(84年)は、そんな実体験に基づいている。

食と創作は自身の中で深く結びついている。「ポップソングは大抵、恋愛が素材となる。でも、恋愛はなくても死にやしないけど、食べなきゃ死ぬ。人間にとっては何を食べるかのほうが大事」。そう言いつつ「……というのは後付けで、食いしん坊なだけかもしれませんけど」と冗談めかす。空腹だと何もできないから、レコーディング中もライブの前もしっかり食べる。

■家族にふるまった「鍋バーグ」

家族ができて料理の腕も上がった。子どもたちが大好きだったのは「鍋バーグ」。大きめの鍋いっぱいにハンバーグのたねを敷き詰めて焼く。「ハンバーグを一個一個作るのが面倒くさかっただけ」と笑うが、家族が苦手なナスやシイタケを刻んで練り込むなど、知恵が詰まっている。

子どもが独立した今はニューヨークで一人暮らし。ごはんを炊き、煮物などのおかずをつくり、野菜料理と味噌汁を添える。「何十年も主婦をやっていたので、カップ麺でいいや、ってことはないですね」。塩分控えめの自分の味噌汁が一番好みに合う。

数年前の目の手術で夜空の星がよく見えるようになり、宇宙に関心を寄せるようになった。宇宙飛行士を目指し、2年前からは水泳も特訓。「年齢的に第一候補になることはないと思いますが、希望は捨てていない」。宇宙から地球を眺めるのが夢。国際宇宙ステーションに地球からの補給船で果物などの生鮮品が届く写真を見ると、宇宙飛行士が本当にうれしそうな顔をしている。「いたら私もそうなんじゃないかな」

矢野顕子さんが好きなせたが屋本店の海老入りわんたん麺(東京都世田谷区)

■ぷりっと海老わんたん

帰国すると足を運ぶのが東京・駒沢大学の「らーめんせたが屋」本店(電話03・3418・6938)だ。くるりの岸田繁さんに連れられて以来、とりこになった。「スープがすごくおいしい」という。4種類のしょうゆをベースに、煮干しやソウダガツオなどの魚介だしを効かせたスープはうまみたっぷり。濃厚な味わいが後を引く。

お気に入りは「海老入りわんたん麺」(930円)。ぷりっとした食感のワンタンに焦がしチャーシュー、メンマなどの具が乗っている。「色々入っているのが好き」という矢野さんにぴったりだ。ニューヨークにもラーメン店は増えたが、ここで食べる楽しみのために「ずっと我慢している」そう。営業時間は午後6時から翌午前3時までで、昼間は別業態の塩ラーメン店として営業している。

■最後の晩餐

うーん、自分で作ったうどん。あったかいやつね。具は冷蔵庫にあるもので。その程度でいいんじゃない? 普段の昼食もうどんが多い。母がお昼に作って食べてたんです。学校から帰るとその残りが私のおやつになることも。私のバックボーンに入っているんですね。

(関優子)

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