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ネオキャリアの西沢亮一社長

ネオキャリアの西沢亮一社長

2度の経営危機を乗り越えて人材サービス業界で急成長を続けるネオキャリアの西沢亮一社長(40)。海外展開にも果敢に挑戦する経営者の過去は意外にも、父親から「勘当」された劣等生だった。マイナスからのスタートだった学生時代に達成感を得た経験が、危機にも動じない経営者人生の土台になった。(前回の記事は「給与遅延、24歳崖っぷちで社長に ネオキャリア西沢氏 」)

優秀な兄へのコンプレックス

「2030年までにアジアで代表的なサービス企業になる」

西沢氏は野心的な目標を掲げ、すでに拠点数はアジアを中心に20カ所以上に及ぶ。ただ、当初は英語で苦労した。しかも最初に拠点を開設したシンガポールでは、人材紹介に携わる事業所は責任者のライセンス取得が必須だった。

「生まれて初めて必死に勉強した」というライセンスの試験は人材紹介の法的知識も問われる難解な試験であり、英語の得意な社員が落ちることも珍しくなかった。毎日朝4時まで試験勉強した結果、英語がほとんどできない状況から1年でライセンスを取得した。

社内でも社員に読書を勧めるなど、勉強家のイメージのある西沢氏。しかし、「幼少期は劣等生で自己肯定感がとても低かった。北海道で過ごした経験が自分のルーツにある」という。

西沢氏には2歳上の兄がいた。「勉強も学校で常にトップで、生徒会長もやっていて。サッカーチームは北海道で優勝、さらに空手もやっている。超優秀な兄で、何においても私は勝てなかったんですよね」

父親は町会議員、母親の実家は町で最も大きい酪農家。さらに優秀な兄と比較され続けて、徐々に家にいたくないと思うようになった。小学校高学年にはすでに反抗期真っ盛りで教師と言い合いになることも。サッカー部のキャプテンをしていた中学校時代は「勉強は全くせず、授業もずっと寝ていて、サッカーだけのために学校に行っている感じでしたね」と振り返る。

両親が教師に謝罪する場面も何度かあったが、「怒られたり厳しく言われたりしたことはなかった」という。しかし一度だけ親が見かねたのが、西沢氏にとって最初の転機となった高校受験だった。

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