息苦しく不穏な時代を撃つ 映画回顧2018年
好景気だというのに、将来への不安は募る。世界各地でナショナリズムが高まり、社会が分断され、自由にものが言いにくくなった。そんな息苦しく、不穏な時代を撃つ映画に力を感じた。
「これを撮らねば」監督の強い意志
瀬々敬久「菊とギロチン」は関東大震災後の1年間のナショナリズムの高まりを、女相撲の力士たちとアナキストの青年たちの物語として描いた。社会主義者が一掃され、遅れてきた理想家たちは焦り、やけっぱちのテロに走る。地域や家庭に居場所をなくした女たちは「強くなりたい、自由に生きたい」と願い、相撲の世界に飛び込む。社会の同調圧力が強まり、少数者が弾圧されるなか、懸命に生を模索する若者たちの群像劇だ。「右傾化し、締め付けられる時代が、今の時代とリンクした」と瀬々。関東大震災後の大正末期を描きながら、東日本大震災後の現代を撃っていた。
舩橋淳「ポルトの恋人たち」は18世紀のリスボン大地震後のポルトガルと21世紀の東日本大震災後の日本を結ぶ物語。復興を急ぐポルトガルの貴族の館で日本人奴隷が虐げられ、2020年東京五輪後の不況に沈む日本ではブラジル人労働者が切り捨てられる。国境や階級によって排除された人々のドラマを「排外主義が世界を席巻する現状に向けて作った」と舩橋。
塚本晋也「斬、」は幕末の動乱期に、腕の立つ侍でありながら、人を斬ることをためらう男を描いた。大義に疑念を抱き、憎悪の連鎖を恐れ、刀を凝視する浪人。塚本はそこに現代人の心情を託した。戦争の苛烈さを描く「野火」に続き、不穏な空気が漂う現代日本への塚本の危機感が色濃くにじむ。
是枝裕和「万引き家族」は、社会から見過ごされた疑似家族の物語。年金とアルバイトと盗みで暮らす血のつながらない家族をつないでいたものは何なのか? 是枝の問いは日本のみならず世界に突き刺さった。カンヌ国際映画祭で日本作品として21年ぶりにパルムドールを獲得。ケイト・ブランシェット審査員長は「見えない人々に光を当てた」と評した。
以上4作はすべてオリジナル作品。「これを撮らねば」という監督の強い意志が伝わってきた。
日本映画の秀作は多かった。大森立嗣「日日是好日」は茶道を通して成長する女性の物語。お点前の所作と人々の身ぶりを、まるでアクション映画のように冷徹にとらえ、そこに感情がうねっていた。凝視する力そのものを主題とした矢崎仁司「スティルライフオブメモリーズ」の静謐(せいひつ)さも忘れられない。
濱口竜介「寝ても覚めても」は、うり二つの2人の男の間で揺らぐ女の感情を、東日本大震災後の社会の揺らぎと重ねる野心作。すべてを映像で語りきる濱口の才能にうなった。三宅唱「きみの鳥はうたえる」は寄る辺なき若者たちにカメラが親密に寄り添い、その心情を生々しくとらえた。
石井岳龍「パンク侍、斬られて候」、山下敦弘「ハード・コア」は奇想天外なイメージと物語の中に、現代社会への鋭い批判が潜んでいた。行定勲「リバーズ・エッジ」は心の空洞を抱えた1990年代の若者たちのドラマに、今を生きる若い俳優たちへのインタビューを重ねた。兄弟姉妹の愛憎をスリリングに描く吉田恵輔「犬猿」、夏の庭から老画家の生きざまに迫る沖田修一「モリのいる場所」にはオリジナル作品の力を感じた。
新人・上田慎一郎が製作費300万円で撮った「カメラを止めるな!」が興行収入30億円を超すヒットとなり、業界に衝撃を与えた。ゾンビ映画の撮影隊をゾンビが襲うさまをワンカットで撮るという低予算を逆手にとったアイデアがあたり、SNSで評判が広がった。
デジタル化を背景に公開本数は増え続け、新人監督が続々デビューした。野尻克己「鈴木家の嘘」、湯浅弘章「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」、春本雄二郎「かぞくへ」、二ノ宮隆太郎「枝葉のこと」、片桐健滋「ルームロンダリング」、藤元明緒「僕の帰る場所」、戸田ひかる「愛と法」、山中瑶子「あみこ」はとりわけ心に残った。
国際共同製作に作家性貫いた野心作
国際共同製作への挑戦も目立った。河瀬直美「Vision」、深田晃司「海を駆ける」、松永大司「ハナレイ・ベイ」、舩橋淳「ポルトの恋人たち」。いずれも作家性を貫いた野心作だ。邦画大手がオリジナル作品に及び腰で、国の助成も貧弱な現状を考えると、この流れは勢いを増すだろう。諏訪敦彦はフランスに乗りこみ、ヌーベルバーグの名優ジャン=ピエール・レオの主演で「ライオンは今夜死ぬ」を撮った。
息苦しい社会、不穏な世界への危機感は外国映画にも映る。スティーブン・スピルバーグ「ペンタゴン・ペーパーズ」は歴代政権が隠してきたベトナム戦争に関する機密文書の報道を巡る、政府と新聞の闘いを描いた。71年の物語だが、新聞の使命への問いは古びていない。スピルバーグが急いでこの作品を撮ったのは、強権的な指導者が報道機関を名指しで批判する今こそ、民主主義の礎としてのジャーナリズムが求められているからだ。
87年の韓国民主化闘争を描くチャン・ジュナン「1987、ある闘いの真実」にも現代性を感じた。警察の対共分室による学生の拷問死と隠蔽工作、納得しない現場の検事、事実を暴く新聞記者、責任を押しつけられる末端の刑事……。立場の違う人間がそれぞれにリアルに描かれた。保守政権下の圧力を乗り越えてこの題材に挑んだ韓国映画人の気迫が伝わった。
対照的なスタイルの2本のドキュメンタリーにも民主主義への危機感が垣間見えた。フレデリック・ワイズマン「ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ」は多くの民族が生活するクイーンズの街で、人々の行動を淡々と記録する。個人商店が軒を連ね、性的少数者も数多く暮らす街の魅力と共に、そこに入ってくるグローバル資本主義の動きもとらえる。冷徹な観察者のまなざしは米国民主主義の原点に向かっている。マイケル・ムーア「華氏119」はあからさまな反トランプ映画だが、その矛先は民主党上層部やマスメディアにも及ぶ。さびついた工業地帯出身のムーアは白人労働者がトランプを支持したことを肌で知っており、人々の「諦め」に民主主義の危機を察知し、警鐘を鳴らした。
理不尽な現代社会への怒りに満ちていたのがマーティン・マクドナー「スリー・ビルボード」。娘を殺された母親が看板広告を出して、犯人を捕まえられない警察を責め立てる。小さな町の人々は白眼視する。それでも母親はひるまずに行動する。あたかも西部劇のヒーローのように。クリント・イーストウッド「15時17分、パリ行き」もまた現代の西部劇だ。欧州の高速列車内でテロリストを取り押さえた3人の米国青年の実話だが、映画は青年たちの少年期から語り起こし、マニュアル主義が広がる米国社会を痛烈に批判する。
社会の分断をありありと描き出したのがジアド・ドゥエイリ「判決、ふたつの希望」。ベイルートのパレスチナ人労働者とレバノン人住民のささいなトラブルが、憎悪の連鎖を生み、レバノン社会全体の民族対立に高まっていく。
映画の豊かさに酔ったのはポール・トーマス・アンダーソン「ファントム・スレッド」。ロンドンの高級服飾店を舞台にした高貴な男と粗野な女の愛の物語。狂気をはらむ男女関係を優雅に描き出した。イルディコー・エニェディ「心と体と」はブダペストの食肉処理場での奇妙な恋の物語。周囲と関係を結べない女と何かを諦めた男の無意識に迫った。
エッジの効いた非メジャー作品が大ヒット
年間興行収入は2200億円台で歴代3~4位の好成績となる見通し。「劇場版コード・ブルー/ドクターヘリ緊急救命」「名探偵コナン ゼロの執行人」が興収90億円を超え、年末の「ボヘミアン・ラプソディ」も予想外の大ヒットになった。だが、盤石のマーケティング力を誇る東宝でヒットの目安の興収10億円に届かない作品が16本、うち6億円未満が7本にも及んだのは、近年なかった現象だ。その一方で45億円に達した「万引き家族」、前述の「カメラを止めるな!」などエッジの効いた非メジャー作品が大ヒットした。
「ウィンストン・チャーチル」の特殊メークを手がけた辻一弘のアカデミー賞メーキャップ&ヘアスタイリング賞受賞は快挙。海外に飛び出す日本の映画人に勇気を与えた。国立映画アーカイブの発足は、デジタル時代に急務となったフィルムの収集、保存、活用を力強く推し進める宣言といえる。「映画」の名を冠した唯一の国立機関の設置であり、「映画文化を支える碇」(岡島尚志館長)の役割が期待される。
脚本家の橋本忍、監督の沢島忠、高畑勲、俳優の津川雅彦、樹木希林、大杉漣、プロデューサーの黒澤満が逝った。
(編集委員 古賀重樹)
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