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教養

教育水準を引き上げれば貧困がなくなる、とは限らない 人生を経済学で考えよう(18)

慶應大学 中室牧子ゼミ

2018/9/3

貧困層の方々は、お金を借りすぎてしまったり、長期的視点で考えられなかったりと、非合理的な思考・行動をしてしまうと言われています。それらの判断が貧困から抜け出すのを難しくしているようです。このことから考えると、彼らが合理的な判断をできるように教育系サポートをするのは、一見正しそうです。

教育に効果はない?

しかし、最近の研究では彼らが非合理的な判断をしてしまうのは、教育水準のみが原因ではなく、貧困という状況そのものも原因であることが示されています。持っているお金が少ないと、家計のやりくりなどが大変になります。すると、脳のエネルギーを多く使わなくてはいけなくなり、脳に負荷がかかり、合理的な判断をする能力が落ちるわけです。「貧困そのもの」による効果で、合理的な判断ができなくなると言えます。そうだとすると、彼らが教育支援を受けたとしても、「貧困そのもの」による効果で非合理的な判断を続けてしまうかもしれません。

「貧困そのもの」による効果を扱った研究として次の2つを紹介させてください。1つ目は、ハーバード大学のムッライナタン教授らの研究です。インドの農家の方々を対象とした研究で、対象者たちは収入の大部分を収穫時期に一気に得る人たちです。そこで、収穫前の金銭的に苦しい時期と、収穫後の多くの収入を得た時期で、頭の働きを比較しました。すると、同じ人たちでの比較にも関わらず、お金がないときの方が著しく頭が働いていませんでした。教育水準が同じ人でも、お金がない時期だと、より頭が働かずに非合理的な判断をしてしまう可能性が示されたのです。

2つ目は、ブリティッシュコロンビア大学のヂァオ助教授らの研究です。この研究では、被験者にレストランのメニューを渡し、注文を考えてもらいました。ただし、2つのグループで予算が異なり、1つのグループには、20ドル以内で注文するように伝え、もう1つのグループには100ドル以内で注文するように伝えました。すると、予算が少ないグループの方が、メニュー下部に載っていた割引情報に気づけませんでした。予算の少なさゆえに値段に集中してしまい、周りの情報を認知しづらくなったのです。お金がないことによって、割引情報など有益な情報に気づけず状況が悪化してしまう可能性が示されたのです。

これらの研究から分かるように、「貧困そのもの」=「お金をもっていないこと」自体による効果で貧困から抜け出すのが難しくなっている側面があります。もちろん、貧困から抜け出せない原因はこれに限らず、生活・教育水準の低さなど他の原因もあるでしょう。ここで大事なのは、お金がないこと自体による効果を考慮しないと、「非合理的な判断をしている。それなら教育支援をしないと!」などと短絡的な判断をしかねないことです。貧困層の方々の、ある思考・行動パターンがお金がないこと自体によるものか、教育水準など他の要因によるものなのかを正しく見極めることが重要です。

新しい選択肢を拒むようになる

私たちの今回の研究では、大学生を対象とした実験を行い「持っているお金が少ないと、新しい選択肢を選びづらくなるのではないか」という仮説を検証しました。行政による貧困問題への介入は、貧困層の方々に「新しい選択肢」を提供することと捉えられます。また、貧困の当事者が現状のパターンを変えるような行動を取るとき、彼らは「新しい選択肢(行動)」を検討していると言えます。このように、貧困から脱け出す=現状を改善するためのアクションには「新しい選択肢」としての側面があります。そのため今回の研究では、持っているお金が少ないことの効果で「新しい選択肢」の選びやすさに違いがでるかを調べました。

まずは、擬似的に「お金が少ないグループ」と「お金に余裕があるグループ」を作りだしました。被験者をランダムに2つのグループに振り分け、片方のグループには「自分は、明日の食費を500円以内に抑えないといけない」と考えてもらい、もう一方には「自分は、明日の食費を3000円以内に抑えないといけない」と考えてもらいました。その後、それぞれのグループの被験者に、「新しい選択肢」の選びやすさを測るための質問に答えてもらいました。こうすることで、持っている金額の違い=500円と3000円の違いによって、「新しい選択肢」の選びやすさに違いがでるかを測定できます。

「新しい選択肢」の選びやすさは、「あなたは、風船の色としてどの色を選びたいですか?赤・黄・緑から選んでください」という質問で測定しました。この3択だけでは、「新しい選択肢」も何もないですが、実際にはこの3択の前にいくつかの2択に取り組んでおいてもらいました。それらの2択の選択肢を「赤・黄」で揃えておき、3択において、赤と黄はそれまでの2択と同じ選択肢、緑のみ「新しい選択肢」となるようにしました(下の表を参照)。そして、3択において緑を選んだら「新しい選択肢」を選んだとしました。実際には、被験者ごとに色の組み合わせを変えるなど追加の工夫は必要ですが、基本的にはこの発想で「新しい選択肢」の選びやすさを測定できます。

注:厳密には、このままでは新しい選択肢が選ばれたのか、緑が選ばれたのか、3番目の選択肢が選ばれたのかの識別はできない。実際の調査では被験者ごとに色の組み合わせを変えるなど追加の工夫を施した

実験の結果、「お金が少ない」条件づけをされたグループの方が、「お金に余裕がある」条件づけをされたグループより、新しい選択肢を選びませんでした。持っているお金が少ないことの効果で、新しい選択肢を選びづらくなったのです。このことから、貧困層の方々はお金が足りないことの効果で、新しい支援プログラムを始めとする、今までとは違う選択肢を選びづらくなっていると推測されます。たしかに、新しい選択肢が常に良い選択肢とは限りません。しかし、現状のパターンを変えるようなチャンスがあるときに、それを選びづらくなる力が働いていると言えます。

中室牧子・慶應義塾大学総合政策学部准教授は、教育経済学が専門。著書に『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。最新刊は写真の津川友介との共著『「原因と結果」の経済学 データから真実を見抜く思考法』(ダイヤモンド社)

私たちはこの研究をするまで、「自分たちが貧困に陥ったら、新しい制度など、現状のパターンとは違う選択肢を検討して、現状を変えるための努力をするけどな。現在お金が足りていない人たちはそういう選択肢をしっかり検討しているのかな。意識の低さもあるのではないか」と考えていました。この考えが間違っているとは言えませんが、「お金が少ないこと自体の効果で、新しい選択肢を選びづらくなる」という側面も示されました。

貧困問題は、個人の能力の視点、社会の仕組みの視点など、色々な視点から捉えられます。その中の1つとして、「貧困そのもの」による効果の視点があります。私たちは、よほど意識的でないとこの視点を忘れてしまいます。しかし、この視点が見逃されると、必要以上に貧困層の方々の自己責任などが叫ばれかねません。「貧困そのもの」による効果、この視点を読者の皆様と共有できたなら幸いです。

(中室牧子・原田航)

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