フリーランスで生きるなら尊敬する人や作品を見つけてほしい
撮れる女優もアリですか(4)
こんにちは、行平あい佳です。「撮れる女優もアリですか」連載第4回目です。あまり暑いと言わないまま8月も終わってしまいましたね。皆さんは何か夏らしいことはできましたか? 私と言えば、夏らしいことの代わりに嬉しいことがありました。先日、俳優として参加した映画撮影で、大学の後輩ちゃんに会えました。彼女は某映画・文芸会社でAPさんとして働いています。お互いお仕事として出会えた時の喜びは特別でしたし、とても心強く感じました。今後も、このような出会いがあるのを楽しみに頑張りたいです。
私が制作助監督を離れた理由
前回はフリーランスとして働くと、ぶち当たるかもしれない、いくつかのことを書きました。結構はっきりと言ってしまい不安を煽ったかなと思いましたが、逆に励まされたという声を頂いて嬉しかったです。さてさて、今回からの数回は「私が制作助監督を離れた理由」についてお話していきます。
今までの連載で、現在も制作助監督をやっているように感じてしまった方がいましたらすみません。誠に僭越ながら自己紹介させていただくと、現在私がしている仕事は絵コンテ等イラスト制作・映像監督・俳優のひよっこです。以後お見知りおきを......!
前回までで述べたように、CMやPVなどの映像を作るにあたって、違う撮影に挑めば、その都度「撮ること」は違います。しかし、映像を作る「手順」のようなものはほとんど同じで、働き始めて少しすると慣れてくるところがありました。そうすると、撮影準備(主にデスクワーク)において、変に時間ができて疲れを自覚してしまったり、将来への漠然とした不安(その時考えたとしても絶対解決できないこと)を考えたりするようになりました。
しばらくその症状を放置していたら、なるべく何かしていないと不安に飲み込まれて動けなくなる恐怖を感じ、仕事が休めなくなっていました。人が足りていない、休んだらお金が入ってこない、休んだとしても遊びに行くようなお金も体力もない。じゃあ、現場に行くか、というような思考回路です。今思うと相当変な精神状態ですね。思い返せば自分でちょっと笑ってしまいますが、映像が好きという根本を揺るがしかねないこの状況、忙しいだけではない原因がいろいろありました。今日はそのうちの1つをお話しします。
学生のうちにインターンを
せっかく安定を投げうってまでフリーランスという不安定な選択をしたいと思っている方に、何よりも言いたいことがあります。それは、「尊敬する人や作品を見つけてほしい」ということです。簡単に言っていますが、これはとても難しいことであり大切なことです。
アシスタント生活という名の地獄に行くのですから、それを支えるのは「尊敬」に尽きるのではないか、と実際自分が働いて初めて感じました。尊敬しているからこそ、ついていけるし、技もこっそり盗もうとするのだと思います。私生活を半ば捨ててまで「この人についていきたい」と思う映画があったり、写真があったり、きっかけはさまざまです。そのような人や機会に出会えるまで、フリーランスになる判断を保留にしてもいいと思うくらい大切なことです。「好きなことができる」というだけの状況は、映像系やクリエイティブ系という万年人員不足の業界にはどこかに転がっています。もし、フリーランスになる機会が目の前にあったとしたら、そこがどのようなものを作って、自分の感性に合うかしっかり考えてみてください。
その人を尊敬できるかなんて一度働いてみないと分からない!と思うかもしれません。確かに人柄自体を尊敬してついていきたい人は心配なところだと思います。そういう方は、なるべく学生のうちにインターンをやっている会社に出向いてみることをお勧めします(私もやっておけばよかった...!!)。そこで尊敬できる方たちに出会えたら、それはとても素敵なことです。最初はもてはやされて、皆優しいと思うので、そこに舞い上がらず、会社内の雰囲気や効率の善し悪しをよく観察してみてくださいね。これはよく言われることですが、アットホームと言われるところは、大体内輪で盛り上がって効率が悪いだけなのでやめておくのが吉です。ごくまれに、作品を尊敬しているから人格がどうあれ構わない! という猛者もいますが、それは人によると思います。
雰囲気の悪い現場から良い映画は生まれない
どんな撮影現場も、大抵時間に追われキビキビと物事が進みます。意外にも現場は結構静かなのです。それは「粛々と自分の仕事をしているプロ集団の静かさ」と「謎に機嫌が悪い監督が原因でスタッフ間の雰囲気が悪い静かさ」に二分されます。前者は、言わずもがなですが、プロ集団の動きは見ていて楽しいです。そして何よりかっこいい。後者のほんどは怒号が生んだ静けさなので、すぐわかると思います。ここをしっかり見て判断してみてください。
以前、日活映画を名監督陣と作りあげたスクリプターさん(編集したときに映像が繋がっているように動き等を記録する)とお話しした際、「雰囲気の悪い現場から良い映画は絶対に生まれない」ということをお聞きしました。私はその話を聞いた時も助監督をしていましたが、ハッとしました。同時に、自分が「映画」の助監督をしているということが恥ずかしくなりました。私が現場で見ていたものは、絶対に映画ではないと感じました。
偉そうなことを言っていますが、私がこれに気が付いたきっかけは、先のスクリプターさんの言葉と、自分が制作助監で参加した映画を見たことです。そこで働き始めて2年近く経っていました。本当に、撮影や準備期間の苦労が何か形となって眼前に現れる機会があって良かったです。自分が大切にしている感情や表現がある理想の映画からは、あまりにも、あまりにも掛け離れていました。それまでの仕事が、自分の理想とするものではなかったと気付いた時は、呆気に取られて言葉も見つからない状態でした。虚無感という言葉が一番近いように思います。
私みたいな小娘の理想や感性なんて高が知れていると反論されそうですが、こちとら生活を投げ打ってまで映画を作りたいと思っています。理想がないのならばこんな生活絶対に選択しません。選択したからにはその行動の根本である理想がどれだけ大切なことか推し量っていただけるのではないでしょうか。この「尊敬」という気付きが、私を制作助監督から遠ざけた原因のひとつです。
機会は案外たくさん転がっている
もしあなたが、私の体験したような状況にいるなら、尊敬できていない人に囲まれ、劣悪な労働条件の中、一応「好きなことができる」環境に「いる」ためにフリーランスを選択したのか、一度考えてみてください。先ほど言ったように、機会は案外たくさん転がっています。私も、制作助監督を離れたらもう何もできないのではないかと怖くて動けませんでした。しかし、ひきこもり期間(このことについては次回以降お話しします)を設け、母の助言もあり再び動き出せることができました。そのおかげで、いまは尊敬する監督やその作品に囲まれてお仕事させていただける環境にいます。俳優として、その場にいるので、制作助監督をしていた時とはその職種自体が違いますが、本来私がやりたかった「映画」の中にいるのだと思っています。
「尊敬」というのは、よく言葉にされがちで、実際は難しい言葉ですよね。「尊敬している人は誰ですか」という質問も、かなり多いけれど答えるのは結構難しい。誰や何を尊敬しているかは、自分の中にはっきりと好きなことや大事にしている感性があってこそわかることだと思っています。それがわからなくなってしまったら、自分の内面ばかりに反省点を探すのではなく、環境を俯瞰で見てみる引きこもり期間を設けることをお勧めします。
そんなこんなで少し長くなってしまいましたが、今回はこれで終わりにします。次回は私が制作助監督を離れたもうひとつの理由をお話しできたらなと思います。ここまで読んで頂いて、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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