「キッチンでお願いします!」 ~きっかけはアルバイト
わたしがカフェを開くまで(1)
こんにちは。2013年9月に東京・西早稲田で日本初のブリュレフレンチトースト専門店の「ForuCafe」をオープンした平井幸奈です。普通の女子大生だった私がなぜ店を始めることになったのか、きっかけからお店をオープンするまでの話を紹介します。「お店を持ちたい!」という夢を追っている方の参考になればうれしいです。
大学入学当時は、カフェを開くなんて、開きたいなんて少しも思っていませんでした。夢はビル風にスカートをなびかせながらヒールをコツコツ言わせて歩く、丸の内バリキャリOLになることだったんです。英語サークルとマラソンサークルに入って、なんとなく大学生活をスタートさせました。
「バイトするなら新宿でしょ!」
「バイトするなら新宿でしょ!」。田舎者の私はそんな安易な考えのもと、アルバイト先を探していました。まず思い浮かんだのは、今はもうなくなってしまいましたが、受験のために上京したときにとても印象に残っていた「ブラッスリー・バルバラ」というお店でした。ピンポイントでそこの面接を受けて働けることになりました。「ホールとキッチンのどちらを希望しますか?」と聞かれ、「キッチンでお願いします!」と答えたのが、すべての始まりでした。
シェフジャケットにシェフハット、何気なく応募したアルバイトでしたが予想外に本格的な職場でした。受験勉強で得た知識なんて少しも役に立たず、私は全く仕事のできないただのお邪魔虫。厳しい上司に「バカかお前は!」と怒鳴られる日々。どMな私にとって、そこはまさに新世界。火口は6つ、キッチンスタッフは5人という前提条件で、ディナーの時間までに終わらせるべき仕込みリストがあって、逆算していかに効率良くこなしていくか、いかに高いクオリティーを出すかが求められます。そうして作ったお料理をお客様に運び、「美味しい」と言っていただくと、それはもうとても嬉しくて。この世界にどんどんのめり込んで行きました。
「スタッフ募集していませんか?」
「こんなに楽しくて、勉強できて、お金までもらえるの!」という衝撃でした。はじめに働かせていただいたこのお店はカジュアルフレンチのお店。そこから都内のレストランを何店か転々としてホールもキッチンも経験し、アルバイト漬けの毎日を送っていました。
ランチに行って「働きたい!」と思ったらその場で店員さんに交渉。「ここでどうしても働きたいのですがスタッフ募集していませんか?」と聞き、そのまま面接していただいたこともありました。
アルバイトをきっかけにフランス料理に目覚めた私は、大学の第2外国語をドイツ語からフランス語に変え、長期の休みにはフランスに2週間行って料理の勉強に行きました。現地でいくつかの料理教室に入ってフランス料理を学びました。そこで分かったことは、フランス人にとってのフランス料理は日本人にとっての懐石料理のようなもので、日常とはかけ離れたものであるということでした。フランス人は毎日、兎やエスカルゴなんて食べません。
「もっと日常的な料理を作りたい!」。フランスから帰国後、そんな思いを抱きながら出会ったのが「bills」というお店でした。「bills」はオーストラリア・シドニー発のカジュアルダイニングで、世界一の朝食を提供する店として知られています。
1992年生まれ、広島県出身。フレンチレストランのキッチンでのアルバイトをきっかけに料理の世界に魅了される。2012年8月より2カ月間、単身オーストラリアのシドニー渡り、billsサリーヒルズ店、ダーリンハースト店で修業。帰国後、料理教室・ケータリング単発のカフェプロデュースなどを手がける。13年9月に日本初のブリュレフレンチトースト専門店『ForuCafe』、14年11月にシチュー専門店『ForuStew』をオープン。15年4月に黄金比グラノーラ「FORU GRANOLA」をオープン。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。