「正直、私は会社をつぶした方がいいと思っていました」と西沢氏。しかし他のメンバーに「もう少し頑張ろう。お前が代表になってくれないか」と社長就任を打診される。株主も営業成績で群を抜いていた西沢氏を推していたことから断り切れなくなり、02年、24歳で社長に就任した。

創業メンバー全員の給料を凍結

24歳で赤字の会社の社長となり、立て直しに奔走した(左から3番目が西沢氏)=ネオキャリア提供

オフィスの水道代も自腹で払うほどの窮状。創業メンバー全員の給与支払いを凍結し、出資者や取引先に頭を下げて回ると同時に、営業活動に奔走した。求人広告や人材紹介は大手もベンチャーも売るものは同じ。とにかく必死だった。

「今でも鮮明に覚えているんですが、ある夜、営業が終わって渋谷の事務所に戻るときにスクランブル交差点を眺めていました。これから遊びに行く人たちがわんさといるわけです。そんな人たちをかき分けて会社に戻る日々。『今に見てろよ』と思っていました」

赤字に陥った原因として「目標やビジョンがなかった」と振り返る。まずは1年半で4000万円の黒字をつくること、絶対に会社をつぶさないこと。そして「常に新しい価値を創造し続ける」という企業理念の原型と、07年までに売上高10億円を稼ぐという具体的な目標を設定した。

「西沢を社長と呼んで敬語を使おう」。社内の雰囲気も変わった。メンバーはみな同期だったが、西沢氏をトップとしてきちんとした組織にしようということを決めた。そして1年半後、すべての債務の返済を完了させ、黒字化を達成した。

この急回復の経験から、全員が同じ方向に向かうことの重要性を実感した。「基本的に衰退する事業分野ではないので、あとはどれだけ良いチームを作れるかどうかにかかっています。一人ひとりが腹落ちして理解し、共感を持って、自分ごととして行動できるかどうか。いかに一つの方向へ皆で向かっていけるかということを、今でも継続してやっています」

一難去ってまた一難。08年のリーマン・ショックの後は主力の中途採用事業の売り上げが半減する事態に見舞われた。「船を下りていく社員もたくさんいて、本当に苦しかった」

再び社員の結束を促す必要がある――。100人強の社員に会社のことを理解してもらうために、半年がかりで自分の考えや会社の歴史、ビジョンを書き出し、約400ページの本「ネオキャリアブック」としてまとめた。創業からこれまでの会社の歩みと苦労、それを通じて生まれた「理想は高く、現実は泥臭く」「知行合一」といった価値観・企業文化、「成長し続ける」という企業理念をつづった。

「成長し続ける」という理念は、大手がやらないことをやるというベンチャー精神の表れでもある。実際にこのタイミングで「危機だからこそチャンスがあるはず」と事業構造の転換を進めた。派遣業法改正で「派遣切り」が社会問題になった時期。大手が軒並み人材派遣事業を縮小したり、撤退したりするなかで、「大手がやめるなら当社は進出しよう」と人材派遣に乗り出した。

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