「なぜこの仕事を選んだのですか」「いつから空に憧れていたのですか」という質問をよく受けるのですが、実際は何かきっかけがあったわけでもないので返答に困ります。
でも、飛行機は好きでした。小さいころに飛行機に乗って、雲の上を飛ぶのはなんて素敵なんだろうと感動した記憶があった。さらに、たまたま中高時代に飛行機が好きな友達がいた。それで、友達と一緒に基地祭に行って、航空自衛隊や米空軍の飛行機の写真を撮るようになったんです。ブルーインパルスの飛行などを写真に撮りました。
一眼レフのカメラを持っていました。当時はフィルムカメラの時代ですから、時には学校の写真部の友達に頼んで学校の暗室を使わせてもらったりしました。
女子校の文化祭で飛行機の写真を売るって、珍しいでしょうか。何をやっても理由なく否定されず、受け入れてもらえる土壌が桐朋にはあるのでしょう。だから、他人の目を気にせず、好きなことを追求できたのかなと思います。
小中高を通じて、通知表がなかった。
桐朋は通知表がありません。これも特徴的かもしれませんね。もちろん、テストはあるから点数をみればだいたいの得意不得意はわかるし、赤点もあります。点数が悪ければ補講もあった。でも、自分の学力が学校の中、さらには世間でどのレベルか、という尺度で比べた経験がないのです。
本当に良かったと思います。他人との成績の優劣という相対的な競争ではなく、自分にとっての絶対的な目標が達成できていればいいと思えた。順位や偏差値ではなく自分の夢や目標を大事にしてこられたのかもしれない、と振り返って思います。
なんとなく飛行機が好きだった私ですが、高校卒業が近づいたころにはパイロットになりたいという夢をはっきり持っていました。今から30年以上前の日本では、女性がパイロットになるなんてあまり考えない時代だったと思います。でも、桐朋でパイロットになりたいと夢のような話をしても、誰も否定しなかった。先生も友達も「そうなんだ。いいね」って。女性だからという理由で疑問を持つような空気がまるでなかった。
実際、桐朋の仲間はその後、面白い仕事についている人がたくさんいます。社長になって部下をたくさん抱えている人とか、テレビ局で活躍する人とか。前例がないような夢を語っても、目標を潰されなかった雰囲気は、本当に素晴らしかったなと感謝しています。
(ライター 藤原仁美)