通知表ない桐朋 JAL女性機長が過ごした自由な時間藤明里・日本航空機長が語る(上)

学校や先生から、何かを強制されることがなかった。

「通知表もなく、順位や偏差値ではなく自分の夢や目標を大事にしてこられた」と話す

小学校の記憶はいまひとつぼんやりしていますが、今考えると「何かをしてはいけない」と制限されるようなことがほとんどなかった。ランドセルの中身がいい例ですが、強制的にああしなさい、こうしなさいと指示された記憶がないです。

公立小よりカリキュラムもおそらく自由で、農業の授業もありました。校外に畑を借りて、いろいろな野菜を育てました。一番難しかったのはスイカでしたね。

桐朋学園は調布市と国立市にキャンパスが分かれています。小学校は男女共学ですが、中学以降は男女別学。私は調布市の桐朋女子中に進学しました。何しろ楽しい小学校でしたから、他の学校に進もうなんて考えもしなかったです。

桐朋女子中・高はとにかく行事が盛んな学校で、特に春の体育祭が盛り上がります。学年対抗で、みんななぜかそこにものすごいエネルギーを注ぎます。

学年ごとに「紫、黄、緑、赤、青、白」と6つの色があり、6年で一巡する仕組みです。いまでも桐朋女子の卒業生や在校生と出会うと必ず、「何色の学年?」から会話が始まるくらいです。ちなみに私は「白」の学年でした。

体育祭の目玉が、学年対抗の応援合戦。今も私のころと同じように応援合戦を繰り広げていると聞いています。応援合戦の内容は生徒が全部考えます。応援団が結成され、出し物の内容を決め、掛け声は何にするか、替え歌の歌詞はどうするかなど、新学年が始まって早々からみんなで役割を分担して決めていく。私は委員には入っていませんでしたが、こういう行事でも、学校から「これはダメ」とか言われることもなかったように記憶しています。

文化祭では、自分で撮った飛行機の写真を販売した。

秋は文化祭です。桐朋女子の文化祭は、みんな好きなことで参加していました。ダンスが得意な子たちはダンスを披露するし、手芸が得意な子は自分の作ったものを売ったりしていました。

私ですか? 私は、自分で撮影した飛行機の写真を売っていました。手芸の得意な友人が販売コーナーを出すというので、その横のスペースをちょっと借りて、写真を売りました。

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