なぜか香辛料香る街に 大阪発スパイスカレーの源流
かんさい食物語
大阪でスパイスカレーの迷宮に迷い込んでしまった。
カルダモン、ペッパー、クミンなどの刺激、インスタ映えする色鮮やかな盛りつけにやみつきになる。人気店では開店前から長蛇の列を作る会社員や観光客らの姿が目につく。
スパイスはカレーに欠かせない素材だが、ここにきてなぜスパイスカレーなるジャンルが台頭してきたのか?いったい全体スパイスカレーとは何なのか?
答えを求め市内の30店ほどを食べ歩いた。
スパイスカレーは一般にカレールーやカレー粉を使わずオリジナルのスパイスを調合して作るカレーをさすが、その一言ではすまない各店各様の顔を持つことが分かった。さらさらした水っぽいものからとろみあふれる食感のカレー、スパイスの量と配合、野菜や肉、魚など具材の組み合わせ、中華とのクロスオーバーなど一つの皿に創造力あふれる世界が現れる。
1980年代開店の老舗「らくしゅみ」のキーマカレーの痛いほどの強烈さ。もはや全国区でレジェンドの域にある名店「カシミール」の酸味のきいた深みのある味。2年連続ミシュラン・ビブグルマンの「Columbia(コロンビア)8」では「左手にシシトウ、右手にスプーン」と唱える伝道師、オギミールこと荻野善弘(40)さんが惜しげもなくスパイスを操る芸術的な世界に出会う。カレー&スパイス創作料理の「ラヴィリンス」にいたっては、ダシのきいたそぼろ丼のようなネギまみれの肉キーマカレーを前に、店名のごとく「迷宮」に迷い込む。
薬の街にカレー文化の原型
もともと日本のカレー文化は大阪の地で生まれた。
明治38年(1905年)。薬の街として知られる大阪・道修町の近くで薬種問屋を営んでいた今村弥兵衛が漢方薬をしまっていた蔵に入ると、当時海外から輸入されていたカレーに似た匂いに気付き、入れ物を開けるとウコンなどの香辛料が入っていた。そこで弥兵衛が自ら調合し作ったのが日本初のカレー粉とされる。この問屋はハチ食品(大阪市)となり、レトルトカレーなどを製造している。
カレーが普及したきっかけは大正15年(1926年)、ハウス食品の前身で大阪の薬種問屋、浦上商店による粉末の「ホームカレー」の発売だ。大塚食品は昭和39年(1964年)、関西のカレー粉メーカーを引き継ぎ、世界初のレトルトカレー「ボンカレー」を開発した。
大阪人気質も見逃せない。作家、織田作之助が代表作「夫婦善哉」で描いた老舗、自由軒はカレーをご飯に混ぜ込む。生卵を載せるスタイルは手軽におなかが膨らむことから、せっかちで合理的な気質に合った。様々な具材を載せて混ぜ込み、複数のカレーをかけるスタイルもあるスパイスカレーに通じる世界だ。
スパイスカレー、1つのジャンルに
DJでもあるコロンビア8の荻野さんは若い頃カレーにみせられ「自分にしかできない仕事をしたい」と和食やイタリアンでの修業を経て、スパイスを音に見立てて調合する独自のオギミールワールドを奏でる。「カルダモンは高音、シナモンはベースとなる低音、ベースと中音をつなぐのがローリエ、と音がきれいな三角形のハーモニーになるように心がけた。スパイスの香りの対比を楽しんでほしい」と16年かけ芸術的なキーマカレーを世に出した。
ラヴィリンスの店主、谷口昌央さん(54)の場合、スパイスは素材の味を引き出す役に回る。「他店と同じ方向は向かず、『オリジナルとはこういうもんや』という世界を追求する」とダシのきいた優しい和食のような、カレーの常識を覆す料理を作る。
カレー文化研究の第一人者、カレー総合研究所(東京・渋谷)の井上岳久代表(49)に聞き、ようやくスパイスカレーの正体が見えてきた。井上さんはスパイスカレーの3要素を指摘する。「スパイスを強調していること、日本人の口に合うこと、創作カレーであること」だ。スパイスをきかせるのは日本人の七味文化にも通じるという。このジャンルはミュージシャンなど料理の素人が始めるケースが多い。
そのうえで「伝統的なレシピにとらわれず自分流である結果、幅広いスタイルが登場するが、共通するのは日本人に合うよう甘味、酸味など五味のバランスを工夫したり、だしを使ったりしている点。欧風カレー、スープカレーなどとともに一つのジャンルを確立しつつある」と指摘する。
大阪発のスパイスカレーは旧ヤム邸が17年に東京・下北沢に進出。コロンビア8などにも東京出店の打診が寄せられているという。まるで、かつて酒の本場、灘や伏見から江戸へ清酒が「下った」ようだ。スパイスカレーが代表する大阪のカレー文化の潮流は、間違いなく全国に広まっていくだろう。
(野間清尚)
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