作家になりたいと思ったことはありません。でも本を1冊書きたいという希望はずっと持っていました。小学校の頃、どこかで「人は誰でもひとつは物語を書くことができる」という言葉を聞いたからです。自分が書いた本が、昔立ち読みしていた近所の二葉書店に置かれるのが夢でした。この言葉をどこで聞いたのかは忘れてしまいましたが、何と作家デビューした後で、誰が言ったかわかりました。井上靖さんが山崎豊子さんに言ったのだそうです。
三浦綾子記念館の記念講演に招かれたのも、ひょんなことがご縁でした。NHKの番組で「子供のころ一番最初に買った文庫本は三浦綾子さんの『塩狩峠』だった」と話したところ、それを見た記念館の人が講演依頼をしてきたんです。子どもの頃、当時は小学校に上がる前だったので、新聞連載小説「氷点」を読むのではなく眺めていたので、まさかそんなことが起こるだなんて、夢にも思いませんでした。
筒井康隆先生とも対談をさせていただいたり、幼い頃に憧れていた作家の方とご縁があることは意外に多かったのは幸せでした。
「1冊」を完成させるまで、焦らず時間をかけた。
読書も好きで、そんな言葉も聞いていたので、高校や大学で暇になると「書きたい」意欲が湧いてきて、ちょっと書いてみる。ところが5、6枚とか10枚ぐらいで書けなくなると、そこで放り投げていました。でもその時は「今はまだそのときが来ていないんだ」と考えました。そうすれば挫折しなくて済むんです。
44歳のとき、いつもと同じような感じで書き始めたら最後まで書けた。それがデビュー作「チーム・バチスタの栄光」(宝島社文庫)です。実はこのときも最初は半分の200枚で止まってしまいました。でもそれまでは5、6枚で終わったので「おお、200枚も書けたぞ、やったぜ」という感じでした。最初は主人公の田口が全部、解決するストーリーのつもりだったんですが、物語の真ん中で、コイツが自分には解決できません、と泣き言を言うもんだから放り出したんです。
ところがさすがに200枚も書くと、「アレ、何とかならないかな。もったいないな」と思うようになり、毎日1分くらいぼんやり考え「やっぱりどうにもならないな」という諦めを繰り返していました。そうしたら10日後ぐらいしてふと、「こうすれば決着がつくぞ」というアイディアがひらめいたんです。それが、白鳥という性格がまったく真逆のヤツがやってくればいいんだ、ということでした。
その後はもうどんどん筆が進み、完成しました。以来、「英知は立ち止まった後からやってくる」と言っています。まあ、冗談ですが。高校時代の読書のたまものでしょうか(笑)。
(ライター 高橋恵里)