「チャレンジを纏(まと)う=スーツ」をコンセプトに、「挑戦し続ける人」を表彰する賞として、日本経済新聞社の「NIKKEI STYLE Men's Fashion」と世界文化社の「MEN'S EX」が共同で今年新設した「スーツ・オブ・ザ・イヤー」。そのスポーツ部門の受賞者、競泳選手の萩野公介さんは、けがに苦しみながらも何度も復活を遂げて活躍、2020年の東京五輪での活躍が期待される。前回に引き続き、萩野さんに聞いた。
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――これまでで最大の挑戦は何ですか。
「まさに今ではないでしょうか。自国開催の20年東京五輪・パラリンピックという、アスリートとしてはこれ以上ない舞台が待っていると思っていますので。今が人生最大のチャレンジの時期だと思います」
――これまでを振り返って、大きな転機となったのはどのようなことでしたか。
「色々ありますね。水泳以外のことでいえば、小学1年生のとき、父親の転勤で名古屋市に引っ越しました。地元の栃木で水泳をしていたときは、そんなに練習はしなかったのですが、転居先では小学1年生なのに1回5000メートルも泳がされました。そこで一気に記録が伸びました」
「名古屋には小学校2年生までいたのですが、栃木に戻ってきて以前いたスイミングに戻ろうと思ったら、『受け入れられない』といわれました。『指導できない』というのです。水泳を続けたくて、受け入れてくれるスイミングを探した結果、自宅から自動車で40分から1時間くらいかかるところにあるスイミングを見つけて。そこに行くことを自分で決めました」
■小学3年生の決断
「今振り返れば、小学3年生が自宅から片道40分から1時間をかけてスイミングに通うことを決めたことは、家族にとってもすごく大きなことだったのだろうと思います。そのときのことを母親が振り返って『水泳ということのために自分の人生を使うと思った』とよくいいます。自分は一人っ子っていうこともあり、そのときはそこまで考えもしませんでしたが」